メモ@inudaisho

2017/06/24 はてなダイアリーから引越 / 君見ずや出版

摩天楼と凌雲閣

 こういう面白い記事があった。

www.netlorechase.net

 自分でもちょっと調べたのでまとめようかとおもったが、寒くてやる気がなくなってしまい放置していた。寒さに順応してきたのでちょっとまとめようかとおもう。

 摩天楼の訳語はどうせ中国起源なんだろうと最初はおもっていたが、西洋の事物概念を中国経由で取りいれていたのは明治初頭くらいまで。彼ら清人の翻訳方式は右から左に訳しているだけなので西洋の事物概念を学ぶには足らず、結局日本人がどしどし西洋諸語から訳していったのだが、そのとき媒介言語として採用されたのが日本人にとって馴染み深い外来言語であった漢語であった。明治初期の訳語の問題は以下にも書いている。

d.hatena.ne.jp

 ここではいきなり skyscraper を追って13世紀まで遡ったりせずにとりあえずは高層建築の歴史に目をむけたいとおもう。なぜといえば、「天を摩する」が面白いのは「天」も「摩する」もそれまでに当然のようにあった概念の意外な組み合わせというところなのだが、比喩でなく現実に可能なくらい高い建物ができるようになったのはここ150年くらいのことだからだ。

高層建築

 去年はちょっと皇居前の高いビルで仕事をしていたが、雲が低いときには実際にそのビルの上部が雲に隠れることがあった。「天」が何を指すかにもよるが、雲の底が天の底だとおもえば、200m弱あれば雲の底をこすることは可能だ。さて人類がそういう建物を建てることができたのは鉄のおかげによるところが大きい。産業革命の進展によって、鉄が建材に使えるくらいまで安くなった。

 西洋の侵略を言いたてるために西洋の技術の優越を過剰に言う向きがあったせいで19世紀の西洋といえばその他の世界とは隔絶した技術の差があったようにおもわれている節があるが、そんなことはなくて19世紀前半の西洋の技術はある種の合理化・機械化を進めたもので、中国や日本やインドが頑張ればなんとかマネできるレベルのものだった。しかし日本が開国したり明治維新したりしたころの西洋はそのレベルから徐々に離陸しつつあるところで、日本はそのペースに間にあうギリギリ最後になんとか乗って、マネする上で一番ネックになる社会の改造に着手したというところだ。そのころの西洋が在来の技術の延長上にあったという点では建材についてもそうで、19世紀はまだ石や木が建材の主流だった。百メートル越えの建築物はあったが教会や記念碑の塔で、たとえばケルン大聖堂の塔(157m)が完成したのは1880年、ワシントン記念塔(167m)は1884年。もっとも1647年にはストラスブール大聖堂(142m)ができている。既存の技術の粋を集めて作ったらその辺がピークということだ。これらの塔は雲の底をこすることはできそうだが、人が住める高層建築ではなかった。

 それら在来工法での高さをあっさり越えたのが鉄でできた1889年のエッフェル塔(312m)。鉄による建築物の可能性を示す出来事だが、エッフェル塔がたったの二年ばかりで建てられたように、このころには鉄による建築の理論が構築されていた。そもそも構造力学なるものも19世紀に発達したものなので鉄の強度でどれくらい建物がつくれるかなど計算することは19世紀以前には不可能なことだった。

 ちょうどそのころアメリカはシカゴの町は1871年の大火から立ち直るところだったが、そのおかげか新技術をフル活用して再建されることになり、高層建築の実験場のようになった。それをシカゴ派とよぶ。ネットロアの人の記事の中頃に BUFFINGTON という人の言葉として "cloudscraper" というのがあると書いてあるがこのバッフィントンはその新しい高層建築技術の波の中にいた人である。たとえば新聞集成明治編年史に引用されている記事にこうある。

明治21年(1888)4月

高層建築實現 廿八階建三百尺

[四・二九、朝野] 米國ミニーポリスの建築師バッフィントン氏は建築の術に精通せしが近頃建築世界に一大變動を來すべき大發明を爲したり、この發明ありしより欧米兩洲に於ても專賣特許を得たるもの頗る多かりしが、特にバッフィントン氏 專賣特許鐵材建築法と稱して有名なる構造の模樣を聞くに、餘程精巧を極めたるものと見え、何如なる大厦高樓たりとも自在に構造すべく、全部鐵材にて仕組み、その基礎は恰も橋梁の石柱に於けるが如く、愈々高ければ愈々小なる樣に組み立てたり、又屋根も鐵製にして、其外部は石材、粘土等に装飾を爲したる被物なり、同氏は此の仕組を實地に試みたるに、一の瑕瑾をも見出ざりしを以て此囘資本家の集會を開きたり、然るに此仕組を賛成する者多分なりしより、當府にては愈々二十八階、即ち三百尺の高さにして、八十尺四方の家屋を建築する事となりたり(以下略)

国立国会図書館デジタルコレクション - 新聞集成明治編年史. 第七卷 61p

 このバッフィントン氏についてググると、どうもこの特許が却下されたらしいことが建築史上に記録されているのだが、新聞記事にあるように数多の発明者がいた中で特にバッフィントンが有名になっているのは、ネットロアの人の記事にあるように "cloudscraper" という言葉を使ったからのようだ。

 高層建築の歴史にも二段階あり、バッフィントン氏が活躍していた1880年代の高層建築模索時代からその後100mを越える超高層建築ができる20世紀の二つに区切れそうではある。シカゴ派というくらいだからと当時の洋行した人のシカゴでの見学記をみても屠殺場が機能的だったみたいなことばっかりで、たしかに建物についても高いとは書いてあるがあんまり触れられてはいない。一般人がみてびっくりするのは超高層建築からなんだろう。

凌雲閣

 ここまで書いた記事のネタ元は実のところ エッフェル塔 - Wikipedia だったりするのだが、西洋では19世紀後半に高い建物を建てる波が来ていたことがそこに書いてある。ところで、新聞集成明治編年史明治20年代をめくってみると日本にも高い建物を建てる波が来ていたことがわかる。明治21年(1888)7月のこととして大阪西成郡今宮村に五層の「眺望閣」(ミナミの五階)、22年(1889)4月に大阪西成郡北野村に九層の「凌雲閣」(キタの九階)ができたとある。

国立国会図書館デジタルコレクション - 新聞集成明治編年史. 第七卷 255p

 これらを紹介したものにはたとえばこんなページがある。

大阪NOREN百年会 瓦版 第2号

 ミナミの五階は31m、キタの九階は39mであったらしい。大阪の凌雲閣の画像はこのブログが多く集めている。

キタの九階・凌雲閣 - 十三のいま昔を歩こう

 凌雲閣といえば今では浅草の12階の凌雲閣が有名だ。新聞集成明治編年史にも出ているが明治23年(1890)にできている。まぁWikipediaでも見てもらおう。52mとか66mとか書いてある。

凌雲閣 - Wikipedia

 さてここでなぜたかだか50m程度の凌雲閣を摩天楼の話に持ち出してきたかというと、まぁ高層建築ブームの中で作られたということもあるのだが、西洋の高層建築の訳語として凌雲閣が用られた例もあるのだ。国会図書館デジタルコレクションで専門書である池田稔『高層建築』(明治44、1911)をめくってみよう。

一たび太平洋を渡りて合衆國の地を訪ひ其が著名なる大都市に巡覽を試みたる者は固より、足未だ内國を出でざる者も或は寫眞に依り、或は版畫によりて藐大聳立天を摩するが如き大家屋を目撃すること屡なる可し、其性質紀念碑にもあらず寺院にもあらず簡調なる方柱形に幾千の小窓を開ける異樣の觀は到底他國に類例を見ざる所にして所謂凌雲閣と通稱せらるゝもの是なり

国立国会図書館デジタルコレクション - 高層建築. 第1巻(一般計劃編)

 冒頭で「天を摩する」を使った以外摩天的な言葉は一切つかわず、以後この本の中では「凌雲建築」「高層建築」「凌雲閣」をまぜまぜにして使っている。国会図書館デジタルコレクションの『工学会誌』264(1904)には「紐育ノ摩天建築」という項目があるので建築学者の間で使われた例があるわけだが、池田氏はその語を知っていて使わなかったようだ。もっともこの後凌雲建築なる語は広くは使われていないようだが、この例にあるように建築学者の間でどのように使われていたかを調べるとよさそうなので『建築雑誌』など見ればよさそうだ。

 ちなみに池田氏の本をみると今なら○○ビルと言うところを○○閣と表現しているので建築用語としてそのような使い方をする時期があったのかもしれない。

摩天嶺

 「摩天」の語はたしかに李白の詩なんかに使われていたりするが、まぁ一番用例の多いのは仏典だろう。とはいえ明治前期の日本で普通に出てくる単語ともおもえない。そこで重要になるのが、ネットロアの人の記事でも摩天の用例の一つとして出てくる地名としての摩天嶺だ。

 日清戦争というのは朝鮮をめぐる日本と清の戦いだが、大陸や半島に鉄道がまったくない頃なので兵力の展開は船に多くを負っていた。ということで意外にあっさりと清軍を地上で朝鮮から追い出してしまった日本軍は、勝ちを確実にするために北洋艦隊の拠点だった旅順と威海衛をおさえる必要があり、遼東半島山東半島にまで出兵するのだが、そのとき、威海衛の後背地の最高峰である摩天嶺が激戦地のひとつとなった。また奉天近傍にも摩天嶺があり、日清戦争では奉天を攻略する必要はなかったのだが、そこもまた気になるポイントにはなっていた。たぶんこのときの「摩天」の二字が日本人には印象深かったのではなかろうか。

ということで

 以上の情報で仮説を作るのは妄想でしかないのだが、その妄想を並べてみよう。

  • 初期は新技術なので訳どころか概念も確定しておらず、超高層ビルが出現するにつれ sky-scraper が概念として確立された

  • 超高層ビルが出現したのと同じころに日清戦争があって「摩天」の二字が日本人に知られた

  • 訳したものに凌雲閣→摩天閣の流れと摩天楼の流れの二つがあり、建築用語としての閣などは無理に漢語をつかわないようになって廃れていき、摩天楼だけが生き残った

  • 清末なので上海・香港方面で「摩天大楼」と訳している可能性もあるがここでは不明 (普通この時期の西洋の事物概念は中国方面を経由してこない)