メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

新熊野林間レクリエーションエリアの現在

 新宮のあたりをうろちょろしているが、毎夜車中泊で生活している。三菱のEKワゴン(新型の方)は車内はかなり快適にできているのだが、車中泊のことまでは考えて設計されていない。平っぽくははなるがデコボコしていたり傾いていたりするのでどうしても変な姿勢になる。まぁ体の疲れもたまってくるので、この月曜の夜は高田グリーンランド 雲取温泉で泊まってみた。安かったから泊まったのであって高ければ泊まらない。

f:id:inudaisho:20180522195132j:plain

 これが新宮の瀬古潔市長が熊野記念館をねじこんだ「新熊野林間レクリエーションエリア」の中核施設のその後だ。今の収入の柱は温泉施設で、日帰り温泉だけやってた方が財務体質的にはよいのだが、もともと研修施設から出発したところだから宿泊も研修施設もやっているという。

 昭和56年(1981)頃の整備計画書によると、この「新熊野林間レクリエーションエリア」の方向性として

神秘の熊野文化と南海のロマンを体験する圏域をめざして

 とある。そしてここ高田に作られるのは複合型のレクリエーションエリア。写真で撮ってきたこの施設は

鑑賞・体験施設 修験道追体験活動、神話の世界を瞑想、歴史や文化を鑑賞する活動を行うことを目的とした施設

 であって、修験道を正面に出していたようだ。実際、昔のパンフレットをみると、今はただの「会議室」「大広間」でしかないところに「熊野文化道場」「熊野教養教室」「瞑想ホール」「かたらいの熊野民話室」などという名前がつけられている。でも実際修験道のなにかをこんなところでしたんだろうか。そうだとすると宗教施設をつくってることになり、問題になるかもしれない。そもそも修験道で人が来るんだろうか。まぁこの時代の後にオウム真理教がやってくることを考えると、案外受けはよかったのかもしれない。

 昭和58年(1983)に「新熊野体験研修センター」ができ、昭和59年(1989)、その横に「農林漁業実習館」が開く。これで研修施設と宿泊施設が揃ったことになり、当時の「広報しんぐう」によると「レクリエーションエリアの両翼」などと紹介されている。そういうとうちのあたりにもゼミナールハウスというのがあったが山奥に研修施設を作るというのはそのころよくある計画だったんだろうか。

 まぁしかし研修・宿泊施設だけでは財務的に厳しかったらしい。ふるさと創生資金の一部(1000万円)をつかって温泉利用権の手続をし、近畿大学と組んで温泉の掘削に着手したらしい。「ふるさと健康公園整備事業」で事業費は7.5億だそうだ。まぁ順調に温泉は湧き、健康保養館なるものがオープンしたのが平成6年(1994)。これが大盛況でそこから経営が安定したそうだ。この健康保養館に今は受付がある。

 らしいらしい、そうだそうだと書いているが、これは、温泉に入ってから外をブラブラしていると出たところに新宮市役所の高田支所があり、そこで聞いたらたまたま詳しい人がいたのだ。もちろん何の準備もないところでいきなり聞いた話なので後から調べると微妙にズレてたところもあったが、そこは修正した。建物がいつできた程度の事は調べたらすぐわかるが、経営の話は聞かないとわからない。

f:id:inudaisho:20180522203153j:plain

 これが泊まった部屋だが、ここまで書いたところの「農林漁業実習館」に相当する。襖で区切られて12畳だが、三つ部屋がならんでいるので、最大36畳の部屋になるようだ。この広さで3000円程度なんだから安い。温泉はなぜか「天台烏薬」という漢方薬くさい薬草風呂と普通の風呂と露天風呂がある。天台烏薬は自生しているもののようだが、これを徐福が求めにきたという設定になっているようだ。

 ということで今日からまた車中泊である。さてどこで寝るかな...

るるぶ南紀白浜 伊勢 志摩'18 (るるぶ情報版 近畿 10)

るるぶ南紀白浜 伊勢 志摩'18 (るるぶ情報版 近畿 10)