メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

ミヤビックスのペーパーライクフィルム

ミヤビックス Visavis店 21周年記念セール

 9月末、twitter をみているとこんなのが流れてきた。

 三日間だけの二割引セール。ちょうど9月頃は Boox Nova Pro のフィルムをツルツルのものからペーパーライクみたいなのに変えようかと考えていたところなので、ちょうどいい機会だということでとびついてみた。

買った三枚

 ということで届いたのがこれ。

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13.3インチ + Boox Nova Pro 用 + EssentialPhone 用

 三枚も買ってしまった。まずはBoox Nova Pro 用のペーパーライクフィルムを一枚。それから、EssentialPhone 用にクリアフィルムを一枚。ガラスかなにか買うつもりでいたがなにも買わずに初期状態の保護フィルムのままだったところ、液晶面を下にして落としてしまいそれでフィルムが傷ついて部分的に浮いて見辛くなっていたのだ。

 それからノートパソコンの FMVT90T(富士通 Lifebook TH90/T)だが、秋葉原Surface のガラスフィルムが安売りしていたのでそれを買ってはめたところ合わないので一部割れてしまったがそのまま使っていたのでちょっと見苦しい状態になっていた。そこでペーパーライクフィルムを貼ってみようとしたわけ。

 以下慣れるため小さい順に貼っていった。

EssentialPhone

 ミヤビックスのフィルムだが、ちょっと貼りづらい構造になっている。ちょうどぴったりのサイズなので、ちょうどぴったり貼らないとおかしい具合になるのだが、ミヤビックスのフィルムは剥離するほうが分割できるような仕組みになっていないので合わせて貼るというやりかたがとりづらい。ので、何回か貼りなおすことになる。埃を避けるために風呂場でやるとよいのだが、貼りなおすうちに人体からの埃などがついてシールでゴミとりするハメになる。ゴミとりのシールくらいついてたらよいのだがないので掃除用の布などが入っていた袋のセロハンテープをつかった。

 まぁちょっとずれていたのでその後常に画面上のどこかのテキストが選択されている状態になって使いづらくなったので貼り直したところ直った。たぶん隅で浮いたフィルムが誤動作を誘発してたんだろう。貼り直してからは問題なし。

Boox Nova Pro

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Boox Nova Pro

 さて7.8インチの電子ペーパー端末のBoox Nova Pro である。これは買ってから読書端末としては使っているがメモ用途には使ってなかった。その改善になるかとおもって、視認性が若干落ちるのを我慢して買ってみたのだ。こっちはボタンがあって逆にそれが目安となって案外貼りやすかった。それはそれとして、貼ってみるとペーパーライクフィルムの表面のブツブツが何か光学的な作用をするのか、ドットがなんか強調されているような感じがある。300ppiなのに。うーむ。よかったのか悪かったのか...

 さて肝心のペーパーライクフィルムでの書き心地だが... ちょっと摩擦が強すぎるかな。もともと筆ペン使いだったので、鉛筆のような書き心地がほしいわけでもなく、それなりにひっかかったらよかったんだがこれだとちょっとペン先を削ってる感覚になる。

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書いてみた感じ。まぁ悪くはないかな...

 ただ、狭い画面でツルツルすると余計に狭く感じてあんまり書けないところが、これだけ摩擦があるとわりと書きやすくは感じた。悪くはないかもしれん。

FMVT90T

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貼る前の状態。ガラスが割れてる

 さて最後に富士通のFMVT90Tだ。LENOVO(北京 聯想集団)に売却される前の富士通最後のワコムEMR採用機という点でも貴重。2015年モデルなのにHDDをSDD1T、メモリを16Gに換装して今も現役。だが、見てのとおりひどい状態で使っていた。そこで今回新しくペーパーフィルムを貼ろうというのだ。ちなみに今ミヤビックスが2015年型の古い機種のフィルムを今売っているわけがないので、13.3インチの他機種向けのフィルムが似たようなサイズなのでそれを買った。

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当然合わないので切って合わせる

 フィルムなので合わなければ切って合わせればいい。でかいので貼るのもすぐに合わないが、今日三枚目で慣れたので、ゴミ取りなど何回もしながらそれなりに貼れた。

 さて、このペーパーライクフィルムの感想ですが.... ちょっと摩擦が強すぎるので、ペンが合わなくなってしまった。もともと筆ペン使いなので筆圧あんまりかけないということでそれに合わせて設定してあるのが全部ダメになった。もうすこしサラサラした普通のフィルムでよかったか。摩擦が強くて先を削ってる感じになるのも気になる。ということで、Boox Nova Pro ではまぁ許容範囲だったものの、こっちはちょっとどうかなという状態。設定からやりなおさなくては。

(20191006 追記 ペン入力の圧力設定をかえたらいい感じになった。よい。)

評価

  • フィルム自体はよい

  • フィルムの貼りやすさをあまり考えてないプロ仕様 (棄てる方は二分割してあるくらいの工夫はほしい)

  • ペーパーライクフィルムはなんか摩擦が強い( 筆圧強い人には向いているのかも )

  • ただし摩擦が強い=グリップがよいということで、ペンでのパソコンの操作はやりやすくなってる

 

「戊辰内乱」の謎

「戊辰内乱」の謎

 8月末から9月頭にかけて東京に行って本を読んできたのだが、そのときついでに国会図書館で検索したら例の吉岡拓が山国ネタで「戊辰内乱の記憶 / 記録と身分意識」というのを書いていた。はて? 戊辰内乱?

 ということでそのとき一日くらいで適当にまとめたのだが、それだけだとなんかものたりないのでつっこんで調べるといわゆるマルクス主義史観の沼にハマってしまい、本来やるつもりだったこともおろそかになって一ヶ月くらい空費してしまった。

国史大辞典の「戊辰戦争」の項目に書かれていないマルクス主義史観

 国史大辞典で戊辰戦争をひくと、研究史としてまず原口清・石井孝の戊辰戦争論争があげられている。当時の研究を見てみると「内乱」の語は普通に使われていて、石井孝などは『維新の内乱』1968 というような本まで出しているくらいだ。ということで内乱は普通の用語なのかと勘違いしてしまうが、ここでいう「内乱」というのは、マルクス主義史観でいうところの「戦争→内乱→革命」というような図式でいうところの「内乱」、または法律でいうところの「内乱」であって、一般的な歴史用語ではない。

 そもそもこの原口清・石井孝の論争も共にマルクス主義史観の枠内で行われていて、それぞれが正しいとおもうマルクス主義史観のために論を立てていたのであるが、そういうことは国史大辞典の記述ではわからない。

マルクス主義史学の沼

 ということで、ちょっと調べたらわかるだろうと軽い気持ちで、戊辰戦争がらみの研究からさらに、コミンテルンが戦前に出したテーゼや日本資本主義論争なんかまで手をのばしたのであるが、もうそのあたりが沼だった。書くと終わらないので書かないが、どこにも「模範的な日本のマルクス主義史学」というのは存在しない。みんな「オレのマルクス主義史観的解釈」を掲げてその時々の政治動向に合わせて言う事を変えてるので何が何やらわからない。国史大辞典が原口清・石井孝の論争の前を書かなかったのはまとめづらいというのもあったのだろう。彼等の先輩にあたる「マルクス主義史学者」服部之総はいわゆる講座派の数に入っていて明治維新あたりのことについて論陣を張ったのだが、必ずしも彼の表現するところが当時の主流派ではないところがおもしろい。そもそも服部のころは、不定形だったマルクス主義史学がそれなりの形へ発展していく叩き台のような時期でありまた政治的な激動の時期なので言うことが時期によってマチマチなのはしかたのないことではある。だから、代表的な「マルクス主義史学者」とされる服部之総よりも、戦後の石井孝の方が図式的な理解で済ましている面があるという「退行」もあるわけで、前を見ようとするとどうも簡単にまとめづらい。ということでここについてはお手上げで放置しておく。

「内乱」の三つの表現

 さて「戊辰内乱」的な言い方は1960-70年代に流行ったようであるが、それをみると三つの方向がある。一つは国際的な観点から内乱ということ。一つは「内乱」の表現として草莽隊が研究されること。一つは関東の地方社会での騒乱状態という意味で内乱ということ。

石井孝の『維新の内乱』

 石井孝の『維新の内乱』は1968年(昭和43)に出たもので、世間では明治百年を祝っていたころだ。石井は明治百年をくさすためにそういうタイトルにしたのではなく、原口清の『戊辰戦争』が出ているのでタイトルがかぶらないようにそうした、ということにしている。しかしこの本はわざわざ「内乱」をタイトルにたてるために、戊辰戦争を国際社会からの観点を軸にして書いたのだ。つまり国際社会からみて「タイクン」の政府が正当政府とみなされる状態から、「タイクン」の政府と「ミカド」の政府の内戦を経て、「ミカド」の政府による支配が確立する、そう見なされていた事実を記述の柱に立てているのだ。そしてその枠組みを利用して、服部之総が考案した「絶対主義への二つの途」つまり戊辰戦争天皇による絶対主義確立と将軍による絶対主義確立を目指した路線対立でおこった戦争ということを説明した。そして服部之総が至った「明治維新は革命ではなく上からの改革」であるという見方を強調したのだが、そもそも革命か改革かの違いが意味をもつのはマルクス主義史観の解釈の上での話なので、勝手に言ってればというだけではある。しかし石井の著述は当時の国際関係からの視点を軸にして構成しているので、その点で「内乱」が無駄にはならず実のあるものとなっている。

 ちなみにもっと直接的に「内乱」を示す下からの革命のエネルギーという見方も健在で、石井自身は「人民史観」とその考え方を叩きながらも、たとえば「ええじゃないか」を人民の革命へのエネルギーを逸らせるために西郷らが仕組んだもの、のように書いていておもしろい。もっとも石井はそんなに単純な「革命へ向かうエネルギー」と描いているわけではなく、「人民闘争」が将軍による絶対主義確立を阻害したというように書いているのだが、いずれにしてもマルクス主義史観の枠組み内での論争だ。石井の方がより実態に即した把握をしようとしたとはいえる。

クーデターだから内乱

 ちなみに法律用語的な意味での「内乱」であるところの、戊辰戦争はクーデターだという見方は当然ながら明治のころにはすでに旧幕臣が残している。これは、実際に経緯を眺めてみれば、大政奉還が先にあり、そこから薩長方が天皇を担いで討伐軍を出したというので、名分論だけでいうとあながち間違いでもないのだが、これは徳川慶喜大政奉還の手に出たのがすごかったというだけのことで、実際に他よりも隔絶した大大名である将軍家がそのまま残るというのは難しい話ではあっただろう。実際に西南戦争までは士族反乱が相続いたわけだし、戊辰戦争のうちの函館戦争も士族反乱的な性質が強いので、戊辰戦争による徳川慶喜の恭順がなくても、いずれ戦争にはなっていただろう。(20191004この段落追加)

草莽隊 を「内乱」の表現とみる

 国会図書館で戊辰内乱を検索すると1960-70年代に用例のピークがあるのだが、多くは「草莽隊」の研究になる。戊辰戦争に民間から参加した諸隊のことを「草莽隊」というらしいが、それを「内乱」つまり社会全体で革命へ向かうエネルギーの表現のように捉えているのだ。要は、そのころ流行っていた一揆の研究の目的が「失敗した革命である農民戦争」の研究であったのと同じようなものとして扱おうとしたのだ。その見方に沿う形で分類すると「戊辰戦争」は正規軍の戦いで、「戊辰内乱」は民間の戦いということになるかもしれない。とはいっても論考の中でちゃんと区別されているかというと結局戊辰戦争がらみの諸隊なので戦争と内乱の区別がどこにあるのかわからないまま時流にのって使っているだけにもみえる。

関東の地方騒乱での受容

 ところが、その後80年代まで使われている方面がある。それが関東の地方史だ。関東は徳川将軍家のお膝元というだけあって、新政府軍が関東へ進出したあとも官軍につくか幕府方につくかの騒乱がみられた。であるからその地方では、戊辰戦争というのは単なる正規軍どうしが勝手にやってた戦争ではなく、地方をまきこんだ戦乱の時代であって、それを記述する言葉として「内乱」が受けいれられやすい。という事情があって「戊辰内乱」という用語が受容されたようだ。関東人の明治維新への恨み言の一種の表現ではあるな。

宮間純一によるリバイバル

 戊辰内乱の語はそれから少なくともタイトルで使うようなものではなくなっていたようだが、それを2000年代になって復活させた人がいた。それが中央大学の宮間純一だ。ただ、この人の「戊辰内乱」の使い方は正直よくわからない。定義もせずにいきなり使っているし、論文によって使ったり使わなかったりしている。『戊辰内乱期の社会』2015 では、「新出史料を駆使して実証的水準を維持しつつ、政争史だけではない社会状況を包括した全体的な戊辰内乱像を構築することが、現状における最大の課題」と書いているのだが、その「新しさ」の演出のためにわざと目新しい用語を選択しているだけではないか。「新たな戊辰内乱像」の柱が佐幕と勤王の対立だというのだからそれは新しいものなんだろうか。関東地方史での「戊辰内乱」の受容が前提とすれば、最近の東京あたりの住民は関東からあんまり外へ出ていかないので、関東で通用する用語がメインストリームだと思うということだろうか。

 ちなみに宮間氏の研究の内容はおもしろいものなので、それなのにどうして用語レベルでわけのわからんことをするのかわからん。昨今の学会は奇を衒わないと生きてけないんだろうか。

明治百年と明治百五十年

 ところで石井孝が明治百年に『維新の内乱』をぶつけてきたように、明治百五十年を祝った2018年度に日本史研究会大会の近現代史部会では戊辰戦争を持ってきたのだが、発表者に宮間純一と吉岡拓を選んでる。つまりそれが冒頭紹介した吉岡拓の「戊辰内乱の記憶 / 記録と身分意識」なのだが、では肝心の宮間純一はどうかというと「地域における明治維新の記憶と記録」というお題を立てている。中では普通に戊辰戦争と書いている。本当によくわからん人だな....

 ところで2018年度の大会発表は、2017年度に偉い人から日本史は古代中世近世近代と世界史的な区分してるくせに世界史的な観点に繋げるような研究がないという苦言があり、その反応という面があって近現代史では「記憶と記録」とかいうお題が選択されたようだ。ちなみに古代と近世は完全に無視で、名指しされた中世は東洋史の研究みたいな海域アジアの発表を出してきてお茶を濁している。近現代史おフランスで提起された歴史認識に関する議論を若手に押しつけてお茶を濁したというわけだが、宮間純一はソツなくこなしていてそのあたり格の違いを感じさせる。

 (古代史部会と近世史部会の発表は中できっちりそういう議論をしてたのかもしれんがそこまでちゃんと読んでない)

オチ

 ちなみに、東京でこのことを人に話したときは、「頭ではマルクス主義史観を否定していても、体が忘れられず、ついつい変な用語選択をしてしまう...」みたいなおもしろ記事にするつもりだったが沼が深すぎてそれどころでなかった。調べてみたらマルクス主義史学とかいうのは実証的手法によって発達していったように見えた。今は実証史学というのが高唱されているが、だいたい実証でない史学は存在せず、ただ解釈の違いがあるだけなのでおサヨクのみなさんは、服部之総のようにどんどん「おれのマルクス主義史学」を自分で再構築していけばよいだけではなかろうか。もっともそういうことをやってどんどん組織から除名されていったのがおサヨクの歴史かもしれんが。

(実証だと主張することはその解釈が正しいことを保証しない。科学を装った迷信が存在するのと同じ事)

国葬の成立 明治国家と「功臣」の死

国葬の成立 明治国家と「功臣」の死

戊辰内乱期の社会

戊辰内乱期の社会

粟田口の明智光秀の首塚と金地院東照宮の位置関係

粟田口の明智光秀首塚

 現在京都の白川沿いにある明智光秀首塚だが、本来の首塚は粟田口(今の蹴上あたり)にあり、それを移動したものである。調べたらすぐわかることなので知っている人は知っている。その粟田口にあった首塚というのは江戸時代の記録に残っているものなので、秀吉のころに明智光秀斉藤利三の首晒した場所そのままなのかどうかはわからない(そうかもしれないが確定できない)のだが、それについて検討した中で、実は南禅寺の金地院にある東照宮がその首塚のあったあたりを向いているらしいということを指摘した。

inudaisho.hatenablog.com

 ところでここで使った地図は明治の仮製二万分の一図なので、そんな細かい比定には向いてないのだが、もっと詳細な地図があるのでそれを使ってみた。

琵琶湖疎水資料館にある地図で比定する

 琵琶湖疎水資料館には「従滋賀県近江国琵琶湖至京都通水路実測図」(明治16年)という地図が展示されている。この地図の存在には気付いていたのだが、その展示室に撮影禁止とあったので使わなかった。ということだが、こないだ地図展を見にここへ来たとき、事務室に聞いてみると、この撮影禁止は著作権の絡みで撮影禁止だとのこと。ならこの地図の一部分だけなら著作権的には問題ないのでは?と聞いてみるとよいみたいだったので撮ってきた。その地図で比定してみたのがこれ。

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明智光秀首塚推定地と東照宮の関係

 赤い丸で囲ったところが、光秀の首塚があったであろうとおもわれる場所だ。前の記事に書いてあるが、江戸時代の地誌の記述だと江戸時代中期は「谷川町の人家のうしろ」で後期は「西小物坐町のうしろ」ということになる。赤い丸のあたり、三条通から道か川かよくわからないのが北に分岐しているが、これが谷川町と西小物坐町の境になっているようで、首塚も境目にあったのだろう。首塚のあったあたりは除地があったというのでこの赤丸の下の人家の隙間がその除地だろう。というわけで順当に人家の後ろのあやしいところを赤い丸で囲うと、ちょうど東照宮がその場所に背中を向けていることがわかるというわけだ。

現在は消滅

 前の記事にも書いたが、この地は交通の要衝で、かつ疎水もここを通ったことで地形が激変して昔の面影はない。首塚があったあたりは今は蹴上発電所の敷地内で完全に消滅している。

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明智光秀首塚(江戸時代)推定地

 山崎の戦いの後の記録では明智方の兵が何千人も殺されて積まれていたらしいので発電所の工事のときに骨が出たりしててもおかしくないんだが、そういう記録や回想をまだ見付けていない。まぁ粟田口の処刑場も正確にどのあたりだったのかよくわからないらしい ( 1000年もの長期間刑場として使われていたので時代によって移動している ) ので、ここの工事では骨が出てくるのが普通だったのかもしれない。そんなに熱心に記録類を漁ったわけではないので、そのうち熱心な誰かがそういう記録をみつけてくれるかも。

明智光秀と本能寺の変 (ちくま新書)

明智光秀と本能寺の変 (ちくま新書)

図説 明智光秀

図説 明智光秀

電子メモパッド

エディオンで1000円で売ってた電子メモパッド

 京都市内でも西の方の観光客があまり来ない一帯の四条葛野大路に京都ファミリーというイオン系の大型商業施設があり、そのなかにエディオンがあるのだが、ワゴンセールで電子メモパッドが1000円(+消費税)で、消費税前セールとはいってもこういうものとしては安かったので買ってきた。

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smaly 電子メモパッド

ロック付 背面にマグネット

 電子メモパッドは黒の画面に圧力を加えると緑になるというもので、爪でも書けるが附属のペンがついている。消すときはボタンを押すと全部消える。家庭での連絡という用途が考えられているらしく、背面にマグネットがついていてたとえば冷蔵庫なんかに貼りつけておくことができる。ペンにヒモをつけてぶらさげる/もしくは本体をひもに通すための穴もある。また、ロックの機構がある。これは消すボタンを押せなくするだけで、ロックしても書きこむことはできる。

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丸いのがクリアボタン ロック機構はスライドスイッチ

 さて既に手持ちの Boox Nova Pro (や Max2) なんかがあるのだが、これはデフォルトでは放置するとシャットダウンする仕様なので、そのおかげで電池が減らずに澄むという面があるもののいざ使おうとするときに起動の待ち時間がある。なのでたとえば電話のメモなどには向いていない。電子メモパッドは画面をクリアするときにだけ電気を使うので待ち時間がない。

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書いたところ

 ただ物理的に書いてフラッシュして消すだけなので、電子データとして再利用するのはこのままでは難しい。まぁスマホで撮ってなんとかする形でなら再利用はできそうではある。もっとも紙のメモでもスマホでデジタル化できるので、その仕組みがあるところなら簡単に代替できそう。大袈裟なシステムをつくるよりはそういうやりかたの方がペーパーレス化しやすいのかもしれん。

 しかし買ったはいいもののあんまり使わないかもしれない(書き置きして連絡するような人がいないから)

停電にはコーナンのガーデンソーラーライト

台風の停電

 千葉県が台風の被害で停電地帯がまだ多いとテレビでしきりにやっているが、やはりテレビ局の中心のある東京に近いと自然災害による被害も大きくまた大げさにとりあげてくれるようだ。去年(2018)の関西の台風21号の被害による停電は完全復旧まで16日くらいかかった。これだけ長びいたのは今年の千葉の件と同じで倒木が道を塞いだからで、その被害の大きさは今でも倒木が放置されているところがあるくらいだ。ただし、人口比でいうとかなり少数になる山奥がその被害をこうむったのであまり騒がれなかった。千葉県はまた別の理由で倒木が多いそうなので、そりゃ大変だろう。倒木処理は非常に危険な作業なので、順々にやっていくしかない。東京の中心の安楽なところから早くやれとか責任がどうこうとかギャーギャーわめくのは本当にお気楽でいいよな。

停電時の夜の照明にはコーナンのガーデンソーラーライト

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コーナンのガーデンライトの棚

 ということだが、その停電のとき買いにいってその後なかなか使えると判明したのがこのコーナンのガーデンソーラーライトだ。

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コーナンのガーデンソーラーライト(三個入り)

 所詮は中国製なので三個入りを買うのがいい。一つくらいは調子が悪くなる。曇りの日が続くと弱くなるが、電池の容量にあんまりごまかしがないのか、朝までちゃんと明るさを保っていることが多い。ライト部と竿は別になっているので、とりはずせる。これを日のあたるところに出しておいて、普段は夜間の照明としておき、停電の日の夜に中に持って入るとかなり明るいのでいろんなことに使える。スマホのライトで照明の代用にするという手もあるが、スマホは重要な通信手段だし万能機器でもあるので積極的にバッテリーを放電させたくはないだろう。ということでこれを買ってきて外に出しておくだけで停電時の夜の室内照明くらいにはなる。まぁ都会の便利なところに住んでる人には縁のない話だが、山間部に住んでいる人は買っておいて損はないとおもう。

見分け方

 ちなみに下にアマゾンで適当に検索したのをリンクで貼っておいたが、これがいいのかどうかはわからない。見分け方としては中に入っている充電池の容量が一つの目安になる。これは書いてないこともあるのだが、書いてあっても中国の中小企業の製品は平気でウソを書いてくるのであまり信用できない。不良品込みの検品不十分の物を売ってるので安いのだ。ちなみに電池の容量が書いてあってもその電池の容量が正しいのかどうかは測定しないとわからない。偽物や再生品で稼いでいる謎の中国企業も多いからだ。

 コーナンのは容量が大きいので意外に明るいにもかかわらず朝までついている。これは十分に充電できないと朝まで持たないかもしれないがまぁ起きてる間だけついてたらいいなら日当たり悪いところでもいけるとおもう。