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君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

佐野学「日本共産党と民族独立問題」

 京都府立図書館に行って禁退出の佐野学(1892-1953)の『共産黨の生態 衝突する國際情勢とコミンフォルム』(ニュープラン社、1948/10)の一部を筆写してきたので公開する。終戦直後の一時期、戦争の反動で共産党のウケがよかったころがあったらしいが、昭和23年(1948)はその後なんだろうか。まぁ共産党についてはそんなに詳しくないが、まだ朝鮮戦争も起こらず、スターリン死後の路線対立もなかったので日本共産党ソ連の子分のままだったころだ。それまで投獄されてたような連中だけにそれまでのしがらみもなく伸び伸びと好きに活動できてたころだとはおもう。ここに書いてあるようなことを散々言われて今に到るのである程度は織り込み済なんだろうが、それでもまだひきずってるところはあるんだろうな。
 一応そのままのつもりだが、何分筆写したものをあらためて打鍵したので間違いもあるかもしれない。新字新かなに直しておけばよかったか。



第四章 アジアの現勢と共産黨
一三 日本共産黨と民族獨立問題
 日本共産黨も世界の他の共産黨と同じ正確の黨(卽ち階級至上主義の黨、世界主義の黨、ソ連中心の黨)であり、又その戰術も世界共通のもの(卽ち賃上鬪爭、經濟破壞工作、反米鬪爭、フラク活動、社會黨不信用化等)である。その思想的基準はレーニン的な無制限的國際主義で、國家と國民を社會主義の推進要素とするスターリンの一國社會主義を理解せざることも他國の共産黨と同じである。この共産黨を克服しうる思想は民族主義と社會主義を統一した民族的社會主義の外にない。又共産黨の破壞的な戰術を克服しうるものは建設的な生産鬪爭の外にない。又共産黨の觀念論的なロマンチックな夢や實は反動的でさえある英雄主義に對しては、主觀と客觀を正しく統一する現實主義を以て克服せねばならぬ。
 本書は世界情勢の政治學的分析を主要のテーマにするのであり、主として國外の情勢をわが同胞に告げようとするものであるから、日本共産黨を論評することは他の機會にゆずることとするが、同黨が一九四八年三月以來、主要なスローガンとする民主民族戰線なるものが、他國の共産黨でも同じ言葉のもとに採つているところの、卽ち世界の共産黨共通の愛國的艤裝に外ならない事だけを指摘しておかう。それは眞の民族的動機に立つものでない。
 共産黨は本質上、世界主義、ソ連中心的な黨であつて、民族本位の黨でなく、自國本位の黨でない。しかるに人は自國を愛し、自民族を基礎として政治、經濟、文化上の活動をする。勞働者といえどもその例外でない。共産黨は國内で最も活動的であらうと欲する黨である。然るにも拘らずその本質は外國的であるから、根本的に勤勞大衆の祖國感情と反する。そこで自らを欺き、他を欺き、詭辯を弄し、詐術を用い、人をトリックにひつかける不道紱を敢てせざるをえないようになる。
 日本共産黨の民主民族戰線という標語は、大衆の間におこつている氣分に押されたものであり、又それを逆用して大衆を獲得しようとする戰術である。日本の民衆は祖國の衰えを悲しんでいる。政治、經濟、文化、社会、教育、あらゆる方面に獨立國の俤はない。獨立國の名譽を回復しようというのは我々の深い願いである。然し共産黨のいう民族獨立なるものは次の理由によつて信用することができない。
 (1) 共産黨の本來的主張は階級主義であつて民族は第一義的主張でない。その階級獨裁を實現するために一切の革命的なものを利用するという見地から、民衆の間に存する革命的氣分としての民族獨立要求を利用するというにとどまる。これは決して民族に忠誠なる所以でなく、むしろ民族を利用する悪辣なる行爲である。これは眞直ぐに進むべき獨立鬪爭の方向をゆがめる。
 (2) 共産黨の民族獨立鬪爭は反米鬪爭を目的とする。反米鬪爭はソ連の最も歡迎するところであり、世界の共産黨に共通する戰術である。決して單純なる反米鬪爭でなく、米ソ對立を背後に織り込んだところの、そしてソ連側に立つところの鬪爭である。我々はアメリカの屬國になるを欲しないと共にソ連の屬國となるを欲しない。共産黨はソ連の對外政策に對して何等の批判をなすところがない。たゞ追隨あるのみ。我々はソ連の社會主義を一定程度において尊敬する。しかしその對外政策に至つては舊來の強國と異るところなく自己中心の擴張政策たるは明白である。米ソの對立を以て資本家對勞働者の階級鬪爭を表現すると見る如きは觀念論に外ならぬ。共産黨は民族獨立なる高貴なる名の下に、反米鬪爭を押し出し以てソ連に忠誠をつくすのである。
 (3) 共産黨は民族獨立の名の下に外資導入に反對している。外資導入が少からざる危險を伴うことは我々も承認する。しかしこの危險を冒してもアメリカ資本を導入して日本經濟を再建することは民族獨立を獲得する前提條件として却て缺くことのできぬものである。自力を以て日本經濟の現時の荒廢を救うことは不可能である。外資の導入を資本家だけに任せておけば國を奴隷化するであらう。國民的な強い政治力と健康な勞働組合があつて始めて禍を轉じて福となすことができる。共産黨が外資を排撃するのは明治以前の攘夷主義者のような野蠻であつたが、熱情的な愛國心があるからでなく、又明治の日本人の如く獨立を失はざらんがために外資の輸入を極力抑制した用心深さからでもなく、ソ連の對立物たるアメリカの勢力を日本に増大せしめざらんとする對ソ忠勤心から出るもので、人を欺くも甚しきものである。
 (4) 新聞紙の傳えるところによれば、神戸の朝鮮人の官聽占領事件に際し日本共産黨員はかなりの主役を演じたらしく、かれらは本部の指令によつて行動した旨を自供したとのことである。其後、取消要求の出ないところをみると事實であらう。朝鮮人教育について朝鮮人の主張する自主性の獲得ということを私は全面的に肯定する。しかし朝鮮人は日本領土内の客人であつて主人でない。客人はその滯在國の法律を尊重する義務がある。日本共産黨は自國の國權の權威を失はしむることをしながら、一方に民族獨立の語を弄するのは矛盾である。
 多くの若い日本共産黨員は「自分たちはソ連に隷屬するなどと少しも思つていない。自分達は本當に民族のことを思つている」という。それを嘘だとは思はない。主觀においてはたしかにそうであらう。しかし客觀的結果においてソ連に奉仕することになるのである。又一般黨員はとにかく上層の幹部級の黨員には、かれらの反米鬪爭がソ連のためのものであることが分つているはずだ。同時に又一般黨員の上記のような考え方の比重が重くなれば日本共産黨もかなり毛色の變つたものになるだらうとも豫想されるが、しかし共産黨であるかぎりにおいては純粹に民族に立った黨とはなりえない。(以下略)

 そういえば共産党反戦平和で弾圧されたみたいなこと言ってるが戦前弾圧されたのはソ連の手先だったからで、反戦平和での弾圧があったのはソ連のヒモ付の共産党の組織が壊滅した後なんだが、そういう事はわかって言ってるんだろうな。