メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

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 君見ずや出版
 今週はなんかいろいろとやってたのとやはり書き込みを消す量が多く、結局出口王仁三郎全集をコンプリートできなかった。のこり二冊はそれほど書き込み多くないようなので終わるとおもう。


 出口王仁三郎出口王仁三郎全集 第五巻 言霊解 其他』『出口王仁三郎全集 第六巻 入蒙記 其他』昭和10年(1935)
 宗教のことに興味のあるひとは第五巻とか第六巻の「水鏡」「月鏡」とかおもしろいのかもしれませんが、自分にとって興味津々なのはなんといっても第六巻の「入蒙記」ですね。大正13年(1924)、出口王仁三郎のモンゴル宣教の回想です。のちの合気道開祖植芝盛平(守高)などをしたがえ、馬賊の首領の盧占魁と提携し、モンゴル入りをめざすが、張作霖にその意図を疑われ、雲行きがあやしくなり、パインタラ(通遼)まで戻ってきたところで捕えられ、処刑寸前まで行く... 大本ラマ教を唱え、ダライラマとパンツェンラマを自称し、宗教的な方面からモンゴルをとることを狙ってたそうでいやもうよく生きて帰してもらえたなという感じです。
 ちなみにこのころのモンゴルはとにかく動乱の時期で、清朝の崩壊後(1911)、清朝との縁の遠かった外モンゴルだけがいちおうの独立を獲得し、チベット仏教(ラマ教)の活仏が統治する国となったものの、北洋軍閥をまとめた策士の徐樹錚による再征服(1919)があったりロシア革命後の内戦の余波でウンゲルン男爵に占領されたり(1920)いろいろあってソ連の後ろ盾で社会主義者による活仏を担いだ政権にたどりついています。ところがこの出口王仁三郎のモンゴル入りの最中の1924/5/20に活仏が死亡、社会主義政権の方は転生がみられないとしてそのまま活仏の支配を廃止してます。張作霖にとってもウンゲルンのモンゴル占領のときに、いちおうモンゴル(外蒙)は中国の一部という建前からモンゴル征伐の計画があったのを中止していたりして無関係じゃないんですね。出口王仁三郎という変な人がいたという三面記事的事件ではなく歴史的な考察にのぼってもいいような事件だったりします。