メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

熊本まで平岡龍城の手掛かりを探しに行った

 別府温泉に行きたかったのだが、別府温泉にだけ行くのは何なので、ついでに平岡龍城の出身地の熊本まで行ってみることにした。しかし熊本行きのバスに乗る直前になって、親戚が死んだことがわかり、その葬式に出るためにとんぼがえりすることになった。もっとも行きのバスの中で別府に行く余地がないか真剣に探したのだが、行くとすると初日の最終の熊本発大分行きのバスにのって野湯で朝まですごし、翌早朝別府を出発しないと間にあわない。身体的に無理だしそもそも初日の17時にはバスに乗る準備をしていないといけないので調査的にも無理だった。ということで熊本で一泊せずそのままバスで往復して今朝帰ってきた。
 まず県立図書館に行ったのだが、震災の影響でまだ上層階に入れない。一階はほとんどが児童向けのエリアで、その片隅の狭い部屋で司書に本を出してもらうという状態だった。もっとも最初県立図書館併設の文学館に行ってみて聞いたところ、学芸員らしい人がでてきて平岡龍城については存在すら知らないということだったが、親切に熊本の明治初期の教育の状態について教えてくれて、明治初期に熊本にあった「洋学校」関係の明治5・6年ごろの書類が綴じてあるものの覆刻物をもってきてくれた。まぁ残念ながらその中に平岡姓の人間は発見できず徳富猪一郎が一ヶ月で退学させられたときの記録くらいしかおもしろいのはみつからなかった。その本を出すときになって県立図書館の狭い部屋につれてかれた。まぁその学芸員の人は奥にいったまま帰ってこないので、他にいろいろ本を出してみたものの、目標がはっきりしていないのだからこういう調べ方はあまり効率的ではない。ということで、最初聞いたことから敷衍していろいろ調べたネタがつきて午後になったところで市立図書館に行ってみた。県立図書館と市立図書館はそれほど遠くないところにあることは行く前に調べていた。
 市立図書館には郷土資料のエリアがあったので棚にならんでいるものを適当に見れる。ここで一つどうでもよさそうなものをみつけてとりあえずそれを成果として帰ってきたのだが、あてにせずにそれで検索してみるといろいろ手掛かりになりそうなものがみつかってきた。まぁ熊本まで行ったのは無駄ではなかったようだ。ということでこれからこの件についてははっきりわかるまで曖昧に書くことにする。