メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

個人所蔵の古文書はいずれ盗まれ散逸する

山国の野尻家

 うちは京都の北の山中にある京北の山国というところにある。明治大正の政治家・名望家の野尻岩次郎を出した酒蔵ということだが、戦争中の統合で酒の生産をやめ、戦後は資産を切り売りして食っていたらしい。昭和30年代に酒蔵を再開するということで山なんかを売って無理に金を絞りだして再開したということだ。ただし経営が杜撰で、経営といよりむしろ消費という状態だったようで切り売りがやむことはなかったようだ。まぁ杜撰といっても戦後のそのころは地方の酒蔵にとってあまりよい時代ではなかったので再開する時期ではなかったというだけかもしれない。自由に酒づくりできるようになったのはほんの最近のことだ。

 あまり詳しいことを書くと親戚を誹謗することになるので書かないが、とはいっても直接の関係者はほぼ死んでて子孫の代になり、うちの祖母だけしぶとく生きてるのであれだが、うちの親が関東から呼び戻されて継いだときには経営続行が厳しい状態にあり、酒蔵を畳むところから始めたらしい。そういうわけで山奥での生活を立てるのに必死で物置の蔵のことなんかどうでもよかったらしくうちの親は物置の蔵にほとんどタッチしていない。

山国の古文書

 山国は古文書が豊富に残されているということが喧伝されている。長年山国あたりの研究をしている坂田聡はこんなふうに書いている。

周知のごとく、中世の在地文書は、鎮守の神社に残されるか、土豪クラスの上層住民の家に残されるか、いずれあの形をとることが一般的だが、ここ山国荘においては、近世前期の文書どころか、中世文書までもが、各家の所蔵文書として、多くの家々において今日に至るまで代々守り伝えられているのである。これは、他の地域では類例を見ない、特筆に値する事実だといえよう。

坂田聡丹波国山国荘地域の調査をめぐって -古文書の整理・保存と研究のはざまでー」『日本史研究』593、2012

 自分たちのやってる研究の値打ちを強調するために、こういうことを事々に喧伝するたびにその筋に知れわたり、あるいは泥棒のターゲットになるんですけどねぇ。この人たちが知ってるか知らないかは知らないが、うちは2001年の7月(より前)に蔵やぶりにあっている。どうも1999年から2000年頃、つまり坂田聡らが調査団を編成して活動しだしてから数年後、山国の家でゆるいところは何軒も土蔵破りにあっているらしい。うちも相当ゆるいので表から堂々とやぶられたのだが、他の家などは山の方の裏側から穴を掘って入りこまれたところがあるらしい。

 中央大学古書店で売っていた巻子本の『山国荘名主家由緒書』なるものを購入しているが、土蔵破りなどで盗まれたものが市場に出ただけだろう。泥棒は売れる物を畑から採って市場に出したくらいにしか考えてないし、買う方は使えるモノが手に入ったくらいにしか思わない。元の所蔵者以外はwin-winなわけだ。研究者も古文書の畑程度にしか思っていないから似たようなものか。

盗まれる古文書

 まぁしかしうちなんかは実のところ文書的には近世後期~明治大正がメインで古いのはあんまりない。そういうことがわかるのも、高校くらいのころから蔵に入りこんであれくれめくっていたからだ。そもそも2001年に蔵が破られているのを発見したのも自分だ。警察呼んだものの何があるのかはっきりわかっていないので小刀がなくなってるくらいしかわからない。まぁそもそもめぼしい器物は戦後のタケノコ生活のときに売ってしまっているだろう。

 というわけだが、その後も放置しているあいだに知らないうちに誰かが頻繁に入っていたようで、あるとき蔵の二階の窓が開けたままにしてあるのを発見してから鍵をかけるようにした。泥棒の畑として使われていたんだろうか。ところが泥棒だとするとよくわからないのは、うちの由緒に関係のあるものが盗まれているっぽいことだ。たとえばこれ。

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酒造株の箱

 一部ではうちは800年くらい続いている酒蔵だったとおもわれているらしいが、そんなことはない。中世文書の中に野尻という苗字のものが酒をつくっていたらしいことがわかっていてもそれがうちのことかどうかはわからないし、中世から一貫して酒を作っていたとも限らない。わかっているのは文化三年(1806)に酒造株を買ったということだ。

「文化三年弓削清田村清助より酒造百十九石弐斗之株を譲請」

松本通晴「丹波山村の同族組織と村落構造」『林業村落の史的研究』 同志社大学人文科学研究所,1967 p.508

 たとえば「800年前からつづいてる酒蔵」みたいな事を信じている人たちからすれば、逆に歴史が短いことを証明するようなものなので無用なのだがなぜこんなものが盗まれたのかよくわからない。酒造株自体も効力を失っている過去の遺物だ。字がよめないのでありがたがってもっていっただけか、こんなものでも売れるということか。

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こういう感じでなくなっている

 また系図のようなものまで盗まれている。この系図なるものはおそらく幕末のころに山国地域の「 名主家」がこぞって作ったようで、『丹波国山国荘史料』(1958)なんかにある鳥居家・水口家の系図とテイストがかなり似ていた。この鳥居家については17世紀に作られた系図が発見されているが、テイストがかなり違っていることがわかっている。(柳澤誠「鳥居家譜の成立 -近世伝承と中世の実態-」坂田聡編『禁裏領山国荘』2009)。うちのもそのころの認識で系図を作りなおしたんだろう。自分の記憶の中ではその系図中で野尻家は水口から分かれたということになっている。もっともその水口氏系図をみると鳥居家までその枝に入っている。ところが、今わかっていることでは、江戸時代においては野尻家は、鳥居・水口に肩を並べるような重要な家だったとはおもえない。そもそも戦国時代のころの「名主家」名簿の中に野尻がみあたらず近世になってから出現するので研究書では「枝郷か?」などとと推測している。なにか血縁とする理由などがそのあたりにあったのではなかろうか。とおもって水口家系図をみるとわりとおもしろい。

 実は最近そのへんのことをちょっと調べてみているのだが、野尻家は山国の近世の由緒形成の中でちょっと特異な位置を占めているようである。いい意味で特異なのか悪い意味で特異なのか、そこはまだ言い難い。材料が多すぎるうえにまともに研究されてないのでその方面から手をつけようとすると、材料の収集・校訂から始めないといけない。ということで、その幻想の跡をある程度反映しているとおもわれる、幕末版(つまり最終エディション)の系図が残っていれば、その系図だけを調べるだけでいろいろ遊べる(ものが言える)のだが、盗まれてしまってはしかたない。世の中にはまだまだ系図を捏造することで何かを補った気分になれる人もいるんだろう。歴史が古すぎる系図はほぼまちがいなくいくつかの系図を結合して捏造したものであることを考えれば、もともと捏造された系図をつかって系図を捏造しようというのはつまり系図は天下の回り物」ということなんだろう。

 もともと蔵の中の文書なんかは年とってから調べようとおもって放置していたのだが、最近はデジカメで簡単に記録を残せるのだから、とっととそうしておけばよかった。盗まれてしまってはどうしようもない。原所を離れた文書はただの紙切れなのでいずれこの世から消滅するであろう。

禁裏領山国荘

禁裏領山国荘