メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

ウィングス京都の山国神社から出た地図の展示を見に行った

(20191011 むかついた勢いでそのまま書いて無駄に攻撃的だったので微温に書きなおした)

山国神社で出た地図の展示

 ウィングス京都で山国神社から出てきた地図の展示をするというので見にいった。

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ウィングス京都にあったポスター

 展示で一番デカい面積を占めるのが「大明地理之図」というやつで、なかなかおもしろいのだが、この地図の説明がなかった。まぁ地図自体に作成の方針とか書いてあるのでそれはよい。気になるのがこれ作成された頃には清朝の時代のはずなのになぜ「大明」の地図なのか、とか、似たような地図は元のころから作られているのでそれとこれとの関係は、とかで、そういうことは専門に研究してる人の話を聞かんとわからん。しかも撮影禁止なので気になったところをメモ代わりに撮影してあとで調べるとかもできない。地図に書いてある説明をみるかぎりでは地理書(禹貢・大明一統志・図書編)をいくつか参考にして作成したということで、何か下敷にしたものがないのであれば単に明の地理書を参考につなげていったらこうなったというだけかもしれん。(地理書についてる略地図をくっつけていけばあんな感じのものは作れる)

講演は山国隊関係

 ポスターにはデカデカと地図がのっていたので、講演で地図の説明もしてくれるんだろうと勝手に思っていたのだが、全然違った。メインは吉岡拓の山国隊の講演。内容は日本史研究会で発表したものの再利用。一般向けに研究成果を還元してくれてるのはわるくないんだが、地図の説明がないとなると、吉岡拓の業績作りのために我々が無料で動員されただけかもしれんな。(たぶん山国隊の祭礼のおまけイベント)

花園大学松田隆行による概説

 花園大学の人が来るということで、最初は地図の説明がこの人なのか? とか地元京都に沿ったまともな説明をするのか?とか勝手に思っていたんだが全然違った。レジメをみるといきなり古代のこととして長屋王の木簡に山国杣とあると書いている。こりゃダメだ。このご時世にそんなことが堂々と書いてあるのは 吉岡拓・坂田聡『民衆と天皇』2014 くらいだからそれを適当に要約したに違いない。この松田という人は専門は近現代史で、吉岡の慶應の先輩かなにかということでどうもお仲間っぽい。さてお仲間の本を適当に要約した結果、ダメな部分も踏襲してしまうのはまぁわからないでもない。ただ、気になるのが「山国里ではないかという異説あり」と書いてることだ。これは、追記しない方がよかった。

mokkanko.nabunken.go.jp

 解釈で話が分かれてるなら別だが、これは物証なので曲げれないんだよな。坂田聡が自分の担当部分を手を抜いたからそうなっただけで、『禁裏領山国荘』2009 でもちゃんと言及してる人はいる。(p432注31参照のこと。ただしその項を書いた人も孫引きで引用しているので指導者(つまり坂田)がわるいんだな)

www.hanazono.ac.jp

 ちなみにこれをみるかぎりでは松田さんの専門は国家総動員とか新撰組なので、山国みたいな山奥のことは適当でいいということかな。ただ、松田さんのレジメはよくまとめてあるので、『民衆と天皇』の江戸時代あたりの論旨が強引なのもそのままわかるようにしてある。わかってることから話を組みたててるんだから普通はおかしくなりようがないんだが、なんか話が通じないところがあるのはもとが変なのだ。

吉岡拓「山国隊の出征経緯を再考する」

 さて動く吉岡拓をはじめて見たのだが、なんというか自分と結構体格が似ているし、声の高い感じまで似ていたのであんまりいい感じはしなかった。それはどうでもいいとして、最初のところでの「サンゴクタイ」の話、あそこでガツーンとやられたね。こいつ、フィールドワーク全然やってないのがバレバレだなって。東京で資料操作してるだけと思われたくないって言ってたけどその通りだって。

山国隊の読み方

 さて、最初のツカミのつもりだったとおもうんだが、吉岡拓は山国隊を「やまぐにたい」と読まず「サンゴクタイ」と読んでいた史料を持ってきて、ほれこのとおり山国隊は「やまぐにたい」ではなく「サンゴクタイ」と呼ばれていたのだと自慢気に話していた。ただしそれは東京あたりで山国のことよく知らない人相手に言ってるのなら通用する話なのだが、山国の人が来てるところで言うことじゃないんだよな。

 彼の言うところではこうだ。

  • みんな「やまぐにたい」と呼んでいる

  • 現地調査でも「やまぐにたい」としか聞いたことがない

  • 水口民次郎『丹波山国隊史』1966 によれば1960年代までは「サンゴクタイ」とよむ人もいた

 つまり今ではみんな山国隊を「やまぐにたい」と呼んでいる、というのだ。

 しかし現実は残酷だ。たとえば twitter で検索してみよう。

 このとおりよそでは「やまぐにたい」と読むかもしれないが、山国では今でも「サンゴクタイ」と読む人がいる。ちなみに自分も「サンゴクタイ」で覚えているのだが、いつのころからか「やまぐにたい」と読むべきというのがスリこまれてよその人にはそのように言うときもある。まぁつまり吉岡拓はそういう何か知識のある人間、よそ向きに発言する人間としか話をしていないので、山国まで来ているのに、逆に「こいつら『やまぐにたい』としか読んでないな」と思いこんだのだ。山国隊の活動してるような普通の人とちょっとでも話をしていればわかることなのに。だから史料いじくってるだけって言われるんだよな。

 しかも資料の読みも甘い。上の twitter でちょうど水口民次郎『丹波山国隊史』の当該部分を引用しているが、それをみれば水口民次郎自身が山国隊を「やまぐにたい」と呼ぶべきと主張しているだけで、山国の人はみんな「サンゴクタイ」と呼んでいることがわかる。その著書で「やまぐにたい」とルビを振っている仲村研は水口民次郎の信念に負けたのかな?もしくは外での読み方を優先したのかな?ぐらいに思った方がいい案件だ。「通説」「先人」の粗探しをして攻撃するのが大好きなのはわかるけれども、その通説がどこの通説か、よく調べてから叩いたほうがいいよなー。

 (20191011 「山国里」が引用してある場所をさがすために『禁裏領山国荘』めくっていたら吉岡はそのころからこのネタを温めていたことがわかった。p261注23。10年以上もそのままの認識とかアホちゃうか )

核心部はまとも

 講演の核心部である「檄文」「誓書」の考証、つまり「檄文」「誓書」はおそらく明治の士族編入運動のために改竄された、という所自体については、手堅い考証でよい。おもしろい。そこについては堂内の聴衆も感心していたように見える。ただ、考証が正しい手順を踏んでいるのと、そこから敷衍していったことが妥当かどうかはまた別の話だ。

 (20191011 このへんは消した。)

説明が雑だから誤解される(20191011追記)

 その後講演のことをまとめてマンガにしてtwitterにあげた人がいたが最後のコマがひどい。

 吉岡の専門といえる士族編入運動についてちゃんと説明せず、山国のことを吊し挙げるような口調で説明するからこんな雑な理解を聴衆に植えつけるのだ。

どうでもいいオチ

 ところでこの会場の片隅で新文書群のうわさを聞いたので、自分の偽文書画像コレクションが増えるかもしれない。→ (20191011)それほど衝撃の新史料でもなかった。既知。

山国隊 (中公文庫)

山国隊 (中公文庫)

征東日誌―丹波山国農兵隊日誌 (1980年)

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