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君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

千利休の死のイメージ

(続報)「美の世界で秀吉と戦った千利休」というパターンの元祖は野上弥生子「秀吉と利休」か - 見えない道場本舗

こういうのを探すのに国立国会図書館デジタル化資料は「ある程度」使えます。ある程度というのは、時代がくだるほど著作権のからみで館外では見れないものが増えてくるからです。そもそも収められてない本なんかいっぱいありますし。まぁ見ていきますか。

大槻磐渓他『補正近古史談. 上卷』三木書店(1898) 元の本は江戸末(1864)
これだと「好色の秀吉が千利休の娘に目をつけて差しだすように命令したが言うこと聞かなかったので怒り、他の事にカコつけて自殺するよう命じた。利休は慌てずさわがず自殺した」という話。このへんが基本でしょうな。

野入佐次郎『英雄の側面』 明治33(1900)
これでは大筋は上とおなじものの、「利休に死を命じたのは女を差しださなかったからではなく、命令を聞かなかったことを憎んだからだ」ということになっている。ちょっと深化してますね。さらに利休についても

其天下を統治する上に於てこそ秀吉に譲るものの、利休元より凡俗にあらず、何ぞ一女を餌にして不義の栄華を希はんや

云々と描写が深くなってます。もうこの段階で「秀吉に逆らってまでも自分を通した利休」というのがみえてます。

さてこのころまでは華族サマがデカい面してるような時代ですが、だんだんそういう旧勢力が後退し成金サマが成長するような時代になってくるので、そういう新勢力のための教養として茶道の値打ちがあがってきます。すると自然と千利休の値打ちも上がり、あらゆることに意味がつけたされるようになります。茶道の大衆化にともなう一種の宗教化ですな。この話についても、もともと「千利休死ヲ賜フニ及ビ遽色ナカリシ事」とまとめられるような臨終故事だったのが、だんだん深く大きくなっていくわけです。

星野天知『破蓮集』矢島誠進堂 明治33(1900)

時勢に歓迎せられて大に騏足を延べたる如く実は時勢に衝突して不幸の天地に生れたる者天下に多しとせば、居士は其一人なるべし、俗は到底雅の伴侶ならんや

秀吉が多年疑懼猜厭の焔は此貪色の絶望に激発し、天下を如意と信じたる驕傲の心には、日頃何事も勝つと難きに業を燃やしつつ終に勝具唯一つを存する所の権力を以て、背逆の罪ありとして自刃を宣告するに至りぬ

まわりくどいんであれですが、この段階で俗人秀吉が雅人利休を最後の手段で抹殺した、みたいな発想がでてきてます。まわりくどいのはそういうアイデアが出始めたころだからでしょう。

実のところあんまり興味がないのでさらに時代を下ってそのアイデアが発酵されたものをさがすとこんなのがあります。
室生犀星『芭蕉襍記』三笠書房 昭和17(1942)

利休はある意味での英雄で、また時代といふものをよくのみ込んだ男らしい。内心ではいつもさびしく暮し、殿中からかへると何時も秋夜のごときを感じてゐたであらうと思ふ。

秀吉といふ男は茶を好いて、一かどの茶人振つたりしたのも、身卑しい生れであつたために、茶道に心を打ち込んだものらしかつた。秀吉の心事には何か哀れむべきものが今から考へるとこもつてゐたやうに思へる。成り上りものの浅ましさは、名古屋に黄金の茶屋を建てたことでも、よくうかがわれて苦笑されてならぬ。さびとしぶさを誇る茶道に秀吉のごときは到底俗人の俗たるものであつた。利休がおそらく冷笑つてゐたのも、床や柱の黄金づくめの茶室であつたらう。時代といふものを読んでゐた利休が秀吉に殺されたのも、単に彼が秀吉の隠密であつたばかりではない、秀吉の俗人であることを証拠立てるものである。

いまの世の風流には決して生命をかけるやうなことはない、むかしは風流さへも生命がけだつたのである。

もうここまでくると「美の世界でなんとやら」というのにあと一歩ですね!