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ユダヤ問題の理解に重要な東欧史

ユダヤ問題の理解に重要な東欧史

 パレスチナ問題はもとよりロシア・ウクライナ戦争でも重要なポジションをしめているユダヤ人だが、その現代の事に深入りしてもろくな事はないので、どっちがどうこうとかいうのはさておき、その背景となってる事をさぐるうちに、結構重要な歴史が日本の高校世界史レベルの知識から欠けていることに気付いたので書いとく。またこれは最近流布されているユダヤ陰謀論の背景にもなってるので、アウトラインでも知っておくとより一層陰謀論を楽しめるようになること請け合い。

世界史の記述が薄い地域

 人間の認識の限界、また共有できる知識の限界の問題で、歴史というのはお話として理解されるものだが、メインストーリーを立てると抜けおちてしまう地域というのがある。それが西洋史においてはビザンツ・東欧だが、それには理由がある。西洋史のメインストーリーはドイツ史で構成されていて、それにイギリス・フランスがついている感じになっている。そこでドイツの近くなのに都合が悪い、またはすこし縁が遠くなってしまうのがビザンツ・東欧で、そのあたりはかなり雑な記述になってしまう。

三十年戦争西洋史

 もう一つ理由があって、高校の世界史だと記憶力を鍛錬するために存在するかのような複雑な箇所がいくつかあるが、その一つにドイツの三十年戦争がある。この結末のウエストファリア条約が以後のヨーロッパを決定づけたみたいな理解がされている。まぁ図式的な理解でいうとそこで神聖ローマ帝国が終わったということになり、近現代の列強が飛びだしてくるということになるが、ドイツのま横にいるのにこの戦争に参加してないことになってる国がある。それがポーランドだ。ポーランドはその後分割される可哀想な国として出てくるだけで非常に影が薄い。自分もその語ロシア史だけの本を読んで、ロシアはその昔ポーランドに滅ぼされそうになったのか、という理解しかなかった。なにせ日本の明治維新のときにはポーランドは分割されて一世紀もたっていたし、明治維新すぐの普仏戦争でのドイツの勝利で、地方分権から中央集権へ移行する近代のモデルがドイツとなったのだから、それもしかたあるまい。しかし実はポーランド三十年戦争の期間に三十年戦争の一方の勝利者であるスウェーデンと戦争しているのである。ドイツを中心として考えると消えてしまうが、確実にそこにあり関与もしていたのがそのときのポーランドだった。

プロシア(プロイセン)の出自とプロテスタントユダヤ

 またドイツ統一の立役者はプロシア(プロイセン)だが、その出自を考えるとまたポーランドは無視できなくなる。もっとわかりやすく言うとプロテスタント史として高校世界史をながめるとかなりわかりやすくなってくる。プロシアは最初のルター派国家なのだが、出自は北方十字軍(敵は異教徒のリトアニア)のドイツ騎士団で、ドイツ本国から離れバルト海沿岸にポーランドリトアニア王国に食いこむようにして存在しており、ルター派を受容したときはポーランドの宗主権下にあった。そのポーランドリトアニアリトアニアがバルト語族の異教徒で、ポーランドカトリックという感じの緩い国だった。そして一番重要なのは、ポーランドがそうした緩い国なので、西欧・中欧でのユダヤ人排斥の逃げ場となり、ユダヤ人が集まる国となっていたのだった。このあたりの事はG7の中で唯一の異教徒である日本の立場を考えるとわかりやすいかもしれない。まぁしかしそういう場所だからカトリックからみると異端だったプロテスタントの国家が存在できたと考えることもできる。だから日本にキリスト教の異常カルトが集まってくるのか。トホホ

リトアニアポーランド

異教徒の国 リトアニア

 リトアニアバルト三国として一括して語られることが多いが、バルト三国の中では別格ともいえる。リトアニアはモンゴルがキエフ・ルーシをぶっつぶした後急速に拡大して黒海沿岸まで支配地域をひろげることになるが、「ヨーロッパ」として考えると異色なのがキリスト教徒ではなく、異教徒であったということで、バイキングのデンマークスウェーデン、スラブ系のポーランドなど周辺の異教徒たちが西暦1000年前後にキリスト教に改宗してしまった中では最後の異教徒集団であった。*1 リトアニア黒海沿岸まで支配をのばしたあと*2ポーランドとの通婚で合同王国になり、カトリック国のポーランドキリスト教に改宗する。それによってドイツ騎士団の牙を抜いたということになるが、支配層がキリスト教化しただけなので完全にはまだそのころには完全に下まで浸透していない。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8c/Map_of_the_Grand_Duchy_of_Lithuania_%28pink%29_and_the_Crown_of_the_Kingdom_of_Poland_%28red%29_in_1386_-_1434.png/1041px-Map_of_the_Grand_Duchy_of_Lithuania_%28pink%29_and_the_Crown_of_the_Kingdom_of_Poland_%28red%29_in_1386_-_1434.png

wikipediaより リトアニアポーランド 1386-1434

User:Poznaniak - Wikimedia Commons 画像の作者

ファイル:Map of the Grand Duchy of Lithuania (pink) and the Crown of the Kingdom of Poland (red) in 1386 - 1434.png - Wikipedia

ポーランドとの合同から選挙王政の共和国へ

 ポーランドとの通婚だが、ポーランドのカジミェシュ3世が1370年に跡継ぎのないまま死に、ハンガリー王のラヨシュ1世が入るがこれも1382年に跡継ぎのないまま死んで、ポーランドは末娘のヤドヴィガが継承。というところへリトアニアのヨガイラと結婚して同君連合になる(1385クレヴォ合同)。つまりこのころの王というのはよそから持ってきてスゲ代えたりできるものだったらしい。それはシェラフタという貴族のような騎士階層に支持される形だったから。とはいえ構造的には西欧で貴族が王を支えているのとかわらないのだが、このシェラフタは西欧の貴族と比べると人口比率にして多く、自身が就労したりもするので、日本の武士と比較されやすい。 はいここ注目ですね。リトアニアポーランド王国は異教徒の部分もあり、また日本の武士のようなものに支えられていた。つまり日本は西洋の文脈ではこいつらと比較されやすいというわけ!

 一方で東のロシアがジワジワと勢力をのばしていたので1569年にはルブリン合同として政体をひとつにした。そして1572年にはジグムント2世がこれも跡継ぎを残さず死んだので以後は王をシュラフタの選挙で外国から迎える王を選び、議会で承認するという体制つまり共和国体制をとった。これによってリトアニアポーランド化が進行してしまう。ということで以下ポーランドとして記述していくのですが、周辺が絶対王政へ向けて中央集権を進めていく中でそれよりもかなり近代的な体制をとったポーランドがどうなったかというと、シェラフタの中の階層差を解消できず腐敗が進行、つまり権力を完全に掌握できないので権力集中が分散し、外国からの介入を防げずグダグダとなり、フランス革命アメリカの建国があった18世紀後半にプロシア(プロイセン)・ロシア・オーストリアに分割されて消滅するというハメになる。

現代史の因縁からポーランド・リトアニア共和国をみる

ユダヤ人の集住地

 さて今のウクライナの領域にはユダヤ人が集住しており、ユダヤ教の中で普通「超正統派」と呼ばれているハレディムの人たちの聖地まである。これはどういうことかというと、このリトアニアポーランド王国は先に書いたとおりもともと異教徒のリトアニアが勢力をのばして正教圏の旧キエフルーシ、カトリック圏のポーランドをのみこみ文化的にはポーランドに優越されたような国なのでキリスト教の力が他のヨーロッパ地域に比べてよわい。そのためにヨーロッパでユダヤ人の迫害気運がたかまると逃げ場として最適だったからだろう。15世紀末に追放されたことがあるらしいが8年で戻ってきたらしい。またキリスト教徒が迫害するといってもキリスト教徒のできないことをユダヤ教徒がやって稼ぐみたいな一種の相補依存関係にあるので、たとえばポーランドがルブリン合同でリトアニアが押さえていたウクライナの平原部をくみこむと、シェラフタが一種の植民地のようにウクライナへ進出し、そのとき手先としてユダヤ人が活躍したのでウクライナ・コサックの反感を得て、フメリニツキーの乱にともなうユダヤ人の虐殺が起こったとされる。ちなみにポーランドが西欧のユダヤ人を正式に誘致するアレンダ制をしいたのはルブリン合同と同じ1569年なので、そういうところからも陰謀論が湧いてきそうではある。それはともかくそのようにしてドイツから来たユダヤ人はこうして人口を増やしたのでのちにユダヤ人の中で「アシュケナージ」ドイツ語の方言であるイディッシュ語を話す人たちとして分類されるようになる。

 それはともかく、現代のユダヤ教にとってもこの地域は重要で、ユダヤ教カバラをとりこんで神秘主義化した時代はこのポーランドユダヤ人が栄えていた時代と重なっているために、そこからやばいカルトが派生している。サバタイ・ツヴィ(シャブタイ・ツヴィ)やヤコブ・フランクで、彼らは結局イスラム教やキリスト教に改宗して消えていったが、今の超正統派のハレディムもカバラをとりこんで以後発展したもので、超正統派も正統派もそういったカルトが起こした変化の影響は受けているらしい。

 しかしこのヤコブ・フランクのカルトは異常だったので「フランキスト」は異常者を罵しる言葉として残っており、世俗化したユダヤ人もゴリゴリにユダヤ教の教えを守ってる人たちからすると異常者なのでフランキストとレッテルを貼ることもありそうで、陰謀論もそういう罵倒成分から湧いてくる妄想がありそうだ。ちなみにヤコブフランクの一派が落ちついた先はフランクフルトの近くなのでロスチャイルド家と関連づけられることもあるし、サバタイ派がイスラム化したとされる集団が集住してるのがテッサロニキで、テッサロニキはアタテュルクの出身地なのでそれを関連づけた陰謀論もある。

 ちなみに黒海沿岸のハザール帝国のユダヤ人と関連づけられるのもこの人たちだが、その心は中東系っぽいのがユダヤ人なのにいきなり白人みたいなユダヤ人が増えてるので偽ユダヤだろというもの。そもそもキエフルーシの成立にもハザール帝国は関連しているのでルーシの末裔を名乗る人達はそのあたりの事に興味津々だが、リトアニア大公国にいたユダヤ人とハザール帝国の遺民が全く関係ないとまでは断言できないものの人口としては少数だっただろうしラインラントにいたユダヤ人が招かれた経緯や増えるのもはっきりしているのでそこまで邪推する必要もない。ポーランドで栄えた時期と神秘主義化した時期が重なってるので邪推されやすいだけだろう。現代の問題はあくまでも現代の問題である。過去に理由をつけておかしい事をする人達がわるいのである。ちなみにその超正統派の人がナチスホロコーストで一番被害を被っていてイスラエル建国時にはイスラエル国民として数百人しかいなかったのだが今や数万人まで増えているので人間も条件が整えば無茶苦茶増えるということである。

同じスラブ系の国ロシア

 さてポーランド・リトアニア共和国の範囲はほぼ今のリトアニアポーランドベラルーシウクライナなのだが、リトアニア以外の三国と同じスラブ系の国としてロシアがある。キエフルーシが消滅したあとその後継国家はキエフにはたたず逃亡国家がいくつかできてそのうちモスクワ大公国がモンゴル支配の代官として重きをなすようになったとされるのだが、リトアニアの支配も二重支配とかいってたようになんかあやしい記述が多いのでよくわからん。ロシアの視点からみるとリトアニアはモンゴルの同盟者であり、常にリトアニア支配下にないスラブ系国家を支配下に組みこもうとする連中なわけだ。実際リトアニア大公国はヴィリニュスを第二のキエフにするつもりだったらしい。ただし結果的にモスクワ大公国は消えず強勢に向かいリトアニアは全ルーシの支配者になれなかった。しかしルブリン合同の後1598年にロシアのリューリク朝は断絶し、混乱の時代に突入し複数の「偽ドミトリー」などが出現する時代になるのだが、その一人はポーランドの後ろ盾を得ていたりする。ロシア史の記述でもこのときが滅亡の危機で、それを救うためにロマノフ朝が登場したという筋書になっている。まぁつまりロシア帝国の歴史はポーランドをロシアの生存を脅かす敵として記述しており実際に18世紀後半になってポーランドを分割して飲みこんでしまうのである。

 もう一つ重要なことがあって、ロシアはユダヤ人を排除してきた。15世紀から16世紀にかけてスハリヤユダヤ教団というのがありそれがユダヤ人によるものかどうかはわからないが、そのせいで異教徒に厳しくなった。その後、ポーランド分割で支配下に大量のユダヤ人を抱えこむことになってしまうが、ユダヤ人に慣れてるプロシアオーストリアと違ってロシアはユダヤ人対策に始めて直面することになり、結果的にポグロムにつながった。それによって西方へのユダヤ人の逃避がおこり、今度はそれがホロコーストの遠因にもなった。また、イスラエル建国の父ベングリオンロシア帝国ポーランドユダヤ人だしロシア革命のときもユダヤ人の活躍がみられたので、あのあたりになんか問題があるのだろう。

プロシアの興起とポーランド

 既に書いたようにプロシア(プロイセン)が国としては最初にプロテスタント(ルター派)の国となったのだが、それが可能だったのはリトアニアポーランド王国に囲まれてドイツ本国と離れていたからだろう。プロシア(プロイセン)を踏み台にしてスカンジナビア半島の方へも布教が行われたのが後の三十年戦争で効いてくるのだが、ここではもうすこし違うことを指摘すると高校世界史レベルでもプロシア(プロイセン)のユンカーというのを習うが、さてそれはポーランドのシェラフタとどれだけ違うのか?という問題だ。つまりプロシア(プロイセン)はドイツと違って大土地所有が進んで、という解説が進むが、ではその後背地であったポーランドのそれとどれだけ違うのか?かなり似ているのではないか?という話だ。そう考えると、プロシア(プロイセン)の興起はプロテスタントと結びつけられることが多く、実際その後にまた後継問題で同じプロテスタントブランデンブルク選帝侯領と「同君連合」が成立してドイツへ進出するのが後のドイツ帝国への足掛かりになるのだが、その後ポーランドを分割するとシェラフタはそのままユンカーとなってプロシア(プロイセン)に仕えたのでプロシア(プロイセン)というのはポーランド化したドイツ、あるいはドイツ化したポーランドみたいな話になって話が面白くなってくる。また、そのあたりが高校世界史レベルまでドイツ史を骨抜きするとポーランドの影がなくなってしまう原因だろう。

アメリカとポーランド

 さてリトアニアポーランド共和国の選挙王制をみてなにか思うところはないだろうか。これはシェラフタによる制限選挙だが、アメリカの選挙はなぜか選挙人を選挙して大統領を選ぶという仕組みになっている。アメリカの大統領は期限付きの王のように振舞うので、前はイギリスの古い議会制度を反映してるんだと思っていた。むしろリトアニアポーランド共和国の方が似てるんじゃなかろうか。ポーランド分割とアメリカの建国は同時期だが、アメリカ独立戦争にはポーランド人も参加している。日本からみればポーランドは学ぶところのない敗者に見えたかもしれないが、現実に日本が沈みだしている今、ポーランド史はもっと注目するべき事柄ではなかろうか。

イエズス会の活躍

 異教徒国リトアニアの日本との類似でいうと、ここもイエズス会が活躍している。ポーランドカトリックで、リトアニアの方は正教会が布教していたが、ルブリン合同のあとどうなるのか。1596年に正教圏の東部には合同教会を置き、権威はカトリック典礼は正教という仕組みになった。そしてその一方でイエズス会が学校を設置して教育のかたわらカトリックの布教をやりだした。これによって正教会の側もイエズス会の学校をマネして学校をつくって正教会側の知識人を養成することになり、さらにそれがロシアのピョートル大帝の改革を支えた知識人の一部になったらしい。

フス派とポーランド

 チェコはロシア以外の東欧のスラブ系の国としては唯一高校世界史での扱いが大きいが、それは政治的にはドイツの一部だったからで、これもドイツ史が西洋史の中心になっているという話を越えない。ところでフス戦争というのがあり、謎の箱車に火器を装備した武装でフス派が暴れるというのがいきなりでてくるが、あれも同時期にリトアニアポーランドが合同してスラブ系を組みこんだ大国がその東側に誕生していたという背景があると見方もかわってくる。

*1:ちなみに西暦1000年頃にそういう動きがあったのは「千年王国」の1000と関係があるとされる。もっとどうでもいい小耳情報としては1000-666は334となる。こういう数字あわせはバカ.....いや催眠や暗示に弱い人を釣るのによく使われるので覚えておくと陰謀論を楽しむのに便利。もっというと催眠や暗示は人間の弱点を突いてくるもので抵抗しにくいため、知識で距離を置いて楽しむしかないのだが、実はその人間の知識という機能が催眠や暗示の根源であり、人間は心を磨くしか逃げ道はないのだ。

*2:それはどうもゴールデンオルドとの二重統治みたいな状態だったっぽく本によって書いてあることがふらふらするがどうもモスクワ大公国とおなじで代官やってたのではないか