「京のおばんざい」の「おばんざい」は大阪弁
「京のおばんざい」という言葉について、京都の人は「おばんざい」という言葉を普段つかわないみたいな反応の方が多い。しかし商業ベースでは完全に定着していて自治体まで普通に利用するようになっている。ということで前から気になっていたけどすこし調べてみた。
おばんざいは大阪弁
まず、出オチのようだが「おばんざい」は大阪弁である。たとえば牧村史陽の『大阪方言事典』杉本書店、1955によると
オバンザイ[お番菜] (名) ……番菜。惣菜。
バンザイ[番菜] (名)……おあつらへの料理でなく、出来合はせものの意。
『守貞漫稿』に「平日の菜を、京阪にては番さいと云ふ。江戸にて、惣ざいと云ふ。」 例 - "オバンザイでえらい濟んまへんけど、しんぼ(辛抱)しといてくなはれ"
また、前田勇の『上方語源辞典』東京堂出版、1965 によると
ばんざい[番菜] ふだんのお菜。ありあわせの副食物。惣菜。(明治十九年・東京京阪言葉違)
[語源] 晩菜・万菜は当字。番傘・番茶などの番が、あるいは常用あるいは粗末の意と理解されている所からいう類推か。近世すでに上方バンザイ、江戸ソーザイと対立していた。
また、日本国語大辞典第二版にはこうある。
ばん‐ざい 【番菜】
解説・用例
〔名〕
ふだんのお菜。ありあわせの物で作ったお菜。多く、東京地方で惣菜というのに対して京阪でいう語。
*魚類精進相撲組合〔1830〜44〕「ばんざいにして飽きのない鰯と茄子(なすび)」
*随筆・守貞漫稿〔1837〜53〕二八「平日の菜を京坂にては番さいと云」
*アド・バルーン〔1946〕〈織田作之助〉「昼はばんざいといって野菜の煮たものか蒟蒻(こんにゃく)の水臭いすまし汁」
方言
《ばんざい》上方312三重県名賀郡584大阪市638《ばんさい》上方†114奈良県吉野郡683
語源説
番傘・番茶などの番が常用・粗末などの意と理解されている所からいう類推か〔上方語源辞典=前田勇〕。
ここまで守貞漫稿が重要な根拠になっている事がわかるが、この守貞漫稿は実際に京都の事にも言及されているけれどもまた筆者本人が「京阪」と書いてるのは実際には大阪の事だとも書いているように大阪に本拠地のある商人が江戸にも拠点を構えてるうちに書いたもの。しかもペリー来航で避難したときに一度まとめたあとの続きの後集に書いてるので時期まで絞れる。幕末の大阪で使われていた事は確実だが、京都で使われていたかどうかはちょっと微妙である。
そこで生きてくるのが日国の方言欄で、そこには大阪市とあり、あとはすこし飛んだ地方が上げられている。なぜかそこに京都が入っていないのだ。
すこし国会図書館デジタルコレクションを検索するとわかるが、「晩菜」だと明治期に結構広く使われている。晩飯、あるいは晩飯のおかずの意味の漢語だが、それとは別に大阪の船場の丁稚言葉としての「ばんざい」がでてくる。忙しい丁稚奉公の中でかきこむように食べる「ばんざい」、それはもう印象的な言葉だったろう。ちなみに国会図書館デジタルコレクションで「おばんざい」を検索すると昭和20-30年代に大阪の人がおばんざいおばんざいとしつこく書いてるのがわかる。つまり少なくとも大阪弁であることは確実である。とはいえこれも大阪にあって京都にはない証拠にはならないのだが。
大村しげとおばんざい
今の「おばんざい」を扱った研究では大村しげ(1918-1999)がその言葉を広める上で大きな働きをしたということになっている。彼女たちが1964(昭和39)年から朝日新聞で連載をはじめたのがもとで広まったのだ。ところで「おばんざい」の大立者の大村しげ本人は「おばんざい」についてこういう言葉を残している。
このごろおばんざい,おばんざいて皆さん言わはりますけど,あれは死語になりかけてたんです。……せっかくええ言葉やのにもったいないなあ言うて,私らお友達(秋山十三子さん,平山千鶴さん)と三人で最初に朝日新聞(京都版)で「おばんざい」(昭和39年)ていう連載物を週二回ずつやったんです。そしたらそれが行き渡ってしまいましてね。東京の方もおばんざい,おばんざいて言うてくれはるし,おばんざいの店かてできてきましたやろ。そしたら,このごろはだんだん嫌になってきて
1990「(対談)京都の食文化は誤解されている」『婦人公論』75(11):246―249,東京:中央公論社 藤井龍彦2007「大村しげと「おばんざい」」 『国立民族学博物館調査報告068 モノに見る生活文化とその時代に関する研究』に引用されているのを孫引き 国立民族学博物館学術情報リポジトリ(みんぱくリポジトリ)
これは論文に引用されていた雑誌記事の孫引きだが、「死語になりかけていた」というよくわからない事を書いている。実際簡単にネットで検索できる大村しげが書いたものをみても、なんか知識ばかり並べて歯切れの悪い事ばかり書いているのである。戦後の大阪では誇らしげにまた当然のように「おばんざい」を語っているのに「京のおばんざい」を日本に広めた大村しげはなぜこんなに歯切れが悪いのか?自分の回答は「おばんざいは大阪弁」だが、なぜそう思ったのかもうすこし書いておく。
国分綾子とおばんざい
今「おばんざい」を扱った研究では大村しげ達が1964(昭和39)年から朝日新聞に連載したのがその出所だとしているのだが、実は先行して京のおばんざいについての本を書いた人がいる。それが国分綾子だ。
国分綾子(こくぶ あやこ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
コトバンクにあるように、「夕刊京都」(京都新聞とは別に夕刊だけ出してた文化紙だが後に京都新聞に吸収される)で学芸部長などを歴任した人。そもそも「夕刊京都」は同志社閥が作った新聞らしく、国分綾子も同志社専門部家政科を出た人で、戦後すぐの夕刊京都の立ち上げに呼ばれてそれから記者として有名になった。仙台人で学校が同志社・結婚生活は東京、疎開で京都という経緯で、つまり根っからの京都人ではないが、記者としての活躍が長く京都の業界では名の知れた人だった。ま、細かいことは後で書くとして、その彼女が1962(昭和37)年に書いた本が『京のお飯菜』婦人画報社1962 である。
ではその本の中に「おばんざい」と書いてあるのかというとそんなことはなく、タイトルの他は後書きに「お飯菜」と申し訳程度に書いているだけ。内容も半分は料亭などプロの料理で、のこり半分が「京のお台所メモ」となっている。さらにいうと、大村しげらが盛んにおばんざいと書きだした後にこの本のタイトルを『京の味日記』と改題している(1967(昭和42)年の本の出版案内に改題したと案内してある)ので逆におばんざいをひっこめたようだ。とはいっても自分もその一部であるメディアで「おばんざい」が頻用されるようになって逆に普及したのでのちには自著でもおばんざいの言葉を使うこともあった。
『あまカラ』とおばんざい
ではなぜ国分綾子は「おばんざい」を使った本を出したのか。実はその前に夕刊京都社編『京味百選』淡交新社、1959がある。これは1958(昭和33)年から夕刊京都で「味の京都」という連載をはじめ、執筆を担当したのが国分綾子だったのだが、それをまとめたもの。ただこちらは料亭あるいは商品などのプロの仕事である。その取材でグルメ界隈に顔を売り、続いて家庭料理の方へも関心が向いたのが『京のお飯菜』ということらしい。あとがきにそのように書いてあるが、また「京のまちの人が毎日食べているおかずのことがききたいという手紙を、甘辛社の水野さんを通じて小島政二郎先生が下さった」などとも書いてありそれもきっかけの一つだったようだ。
甘辛社。さてこれは何かというと大阪の菓子屋鶴屋八幡がそのPR誌『あまカラ』のために作った組織だ。『あまカラ』は1951(昭和26)年から1968(昭和43)年まで出たのだが、いろんな食のエッセイがのったグルメ雑誌(小冊子かパンフレットの規模だが)で、のちの『あまから手帖』『amakara』などの雑誌はあきらかにその名前にあやかっている。その『あまカラ』の顔の一人が小説家の小島政次郎。そして1958(昭和33)年からは『あまカラ』誌上で全国各地の新聞社記者のミニ通信がのるようになり、そこで京都代表は夕刊京都学芸部記者として国分綾子が書くようになる。
最初に書いたように「おばんざいは大阪弁」なので、その大阪を本拠地にしたグルメ雑誌『あまカラ』では「おばんざい」は当然のようにでてくる。
大久保恒次の語源説
ところで大阪だけで「おばんざい」と言ってればよいのだが、この『あまカラ』の顧問に大久保恒次(1897-1983)という朝日新聞社の記者から関西の味にこだわる文筆家になった人がいる。この人が書いた『うまいもん巡礼』六月社、1956 に「食品の御所詞」という一節があり、そこにこう書いてある。
宮中の詞で天皇の御飯を『ごぜん』、女官たちのは『おばん』と言いますが、大阪では今も食事するのを『ごぜん食べましょ』と言います。下々でまた惣菜のことを『おばんざい』と言うのも、この『おばん』の菜ということで、晩菜という字をあてるのは誤りです。
とあり、以下大阪で使われていた言葉が御所言葉に由来するとあれこれ書いてある。実はすこし勘違いとかあるのだが、いわゆる大阪の船場言葉が京の言葉を意識して発達したのは本当の話である。なので河内弁など周囲の言葉に比べると京言葉に近く、御所詞に由来を求めるのもあながち間違ってはいないのだが、「ばんざい」に「お」をつけた「おばんざい」も御所言葉と言ってしまうのはすこし乱暴な説であった。
「おまわり」が女房詞の「おかず」
というのは簡単な話で、市中に影響のあった言葉は宮中で使われていた女房詞なのだが、その女房詞でおかずは「おまわり」と記録がある。しかもそれが『あまカラ』当時の京言葉に残っている。そもそも国分綾子、さらには大村しげなんかも書いているのだが、他に楳垣実『京言葉』高桐書院、1946 に
オマワリ (お廻り) 副食物、お菜。
とある。「おばんざい」はそこにはない。
『あまカラ』誌上の広告
さて、国分綾子の『京のお飯菜』に話を戻すと、この本が出ると『あまカラ』誌上に広告がでるのだが、その売り文句がこちら。
おばんとは御所言葉で、女官の御飯のことです。そこで<おばんざい>は御飯菜で、おかずという意味です。お膳のまんなかに物相の御飯を盛り、その周囲にぐるりとおかずを置きあわせたところから、おかずのことを<おまわり>というのも同じ御所の女房言葉でした。城壁もお濠もない御所とまちの暮らしは、昔から親近感の深いものでしたから、京都ではまちの人々もおかずを<おばんざい>といいならわしてきました。日本の料理のふるさとは京都だ…とはよく耳にするところですが、<京のお飯菜>は、古い伝統に培われた味わい深いしきたりと、洗練された味覚を、京の四季折々に求めたエッセイ集です
さてここまで読んできたらわかるとおもうが、これはあたかも『あまカラ』の顧問の大久保恒次が『京のお飯菜』のために彼の独自研究を披露したようなものにみえる。しかも書名の「お飯菜」の漢字の選択の由来まで大久保恒次であることがわかる。国分綾子は京都をうろちょろしているので京都で調べた事を伝えた様子はわかるのだが、大久保の「おばんざい」は御所言葉由来だという固定観念をくずすことはできなかったようだ。この時大久保は60代半ばなので明治生まれだといってもまだまだいけそうな気がするが、頑固なうえに押しが強かったのかもしれない。
大村しげのおばんざいの問題
さて、国分綾子は押しきられてそういう本を出したものの、タイトルでしか「お飯菜」を使っておらず、さらには数年後にそのタイトルを撤回してしまってしばらくは知らなかったかのように京都のグルメ本を出していくのだが、そこで出てきたのが大村しげである。大村しげがあれこれ書いているのもその前に国分綾子の「お飯菜」があったから、とわかるとかなりわかりやすくなってくる。問題はなぜ「おばんざい」にとびついたのか。
ひとつ考えられるのが、家庭料理ということで女性問題の一環として考えたこと。大村しげはそれまで大村重子名義でなにやら政治的な文章をあれこれ書いていた。そこでいきなり他二人の女性とともに朝日新聞紙上で「おばんざい」の連載を始めるのだが、政治的な活動的な面があったのではないか。国分綾子は料亭や名物などグルメ記事を書いているのであるいは「ブルジョワ」的にみえたのかもしれない。ちなみにこれは自分の妄想でしかないのでそれが正解ではないが、そうだとすると、大村しげがのちに「おばんざい」で名声をあげて文筆家となり、最終的にバリ島に移住して孤独のうちに死んだのは皮肉にもみえる。
日本おばんざい協会が大阪を避けた謎
それから、今「おばんざい」を推進している団体に「日本おばんざい協会」がある。
このリンク先にあるように2012年に京大農学部で「おばんざい研究会」を作った藤掛進がその中心にあるが、この人が同志社出身なのもまた興味深い。ちなみにこの人は2015年、『おばんざいに関する報告書』をつくっているが、そこで「おばんざい」について検討する上で
4 大阪について
大阪、大坂についても「おばんざい」という言葉があったようであるが、議論は別の機会にしたい
という感じで逃げている。触れると面倒くさそうなので避けたのか、あるいは知っていたけど商売上「おばんざいは大阪弁」だと問題があるので逃げたのか。
朝鮮料理のバンチャン(반찬)とおばんざい
これはまた別の話だが今の「おばんざい」の使い方はなにかバイキングのようで、さらに言うならあたかも朝鮮料理のバンチャン(반찬)のような感じだが、そういう風に盛りあげていきたい方面がどこかにあるのだろうか? 昨今のなんでも韓流の風潮をみるとそういう面がありそうな気もしている。