メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

大学院はやめた

大学院はやめた

退学願提出

 さて今まで幻聴が出ながらも論文を公にするためにしがみついていた大学院だが、幻聴はだんだんマシになってきたものの、依然として夜中の変な時間に目がさめつづけて深く長く眠る事が不可能だった。大学院の方も演習二つだけ出ることにしていたが、幻聴のせいか予習も十分にできず、最低限の下調べしかできない。これでは進捗もはかばかしくないなと思っていたところ、今年の五月中頃に寝てるときに肩が痛くなり、それがちょうど字を書くときに使う筋につながってるところらしく、字を書くのも痛くて難儀する状態。その状態で一ヶ月くらいはがんばってやっていたが、一向によくならず痛いままだったので、徐々にやる気を削られていって7月くらいにはもう演習に出る気もなくなってしまった。

 そういうわけで先生にはもうやる気がなくなって退学しようと思うと言っていたのだが、まぁ九月までと先のばしにされたのだが、九月になってもやる気が回復しないので先週退学願を出した次第。

 幻聴で論文書けとか言われるけど、そもそも幻聴で日夜責められてよく眠れないままにされつづけたのが論文書く事に意義を見いださなくなった原因なので、そう言われても「だから何」みたいな感じになる。幻聴は統合失調症に限らずもうすこし広範にみられる現象だが、聞こえる側からすると、なんかテレパシーでつながってる連中がいてその限定サークルのテレパシーの輪に巻きこまれたように感じる。そういう集団がいてテレパシーで人を責め殺して財産うばって生活してるような世界、どうなってもいいように感じてしまった。つまりこの世界に貢献する気がなくなった。要はそういう妄想が形成されてしまったということだ。

最近の体調

 さて体調の方だが、こちらはなんとかよくなってきている。幻聴で食っちゃ寝してたせいで体のバランスが崩れていたのだが、それだけでなく、幻聴のようなものがあるように脳自体にノイズみたいなのがかなりのっていて体の使い方が昔とは違っていてそのせいで腰がいたくなったり便秘になったりしていた。肩が痛くなったころにどうでもよくなってまずウンコを出すために断食をしてみたところ、一週間くらいは無理なくできた。その時点で異常だが、一週間くらいやったあたりで、爽快感みたいなのがでてきた。それが山登りしてヘトヘトになったときの感覚に似ていたので、登山で体調がよくなるのは激しい運動で一時的な飢餓状態にもっていくからだろうと思った。そんなら体を削りながら断食を続けるよりは山登りした方がよいのでは?

 その事に気付いてもなかなか山登りできなかったあたり幻聴で脳がやられてるが、大学のときの元寮生で同年代の人がガンで余命宣告されて宣告された頃になってるのにまだ死んでないというので見にいったところ、どうも最初は腹の具合がこちらと似たような感じで悪かったらしい。それがガンに発展してそれが腹腔内に散ってしまったがためにステージ4と診断されたらしい。そのことで、糞詰まり→ポリープ→大腸癌という経路があることに気付いてしまった。しかも大腸の腸壁は更新が早いのでポリープ未満のものができても腸壁の更新で治る事があるという。ならまずは腹の具合が悪くて糞詰まりみたいになってるのを解決するとよいのでは? そしてそういう体の流れの乱れみたいなのを治すには運動がよいのだろうが、それほど無理なく、しかも強制的にある程度の運動をさせられるとなると山登りが一番では?と気付いた。(山は登ったら降りるまで休みながらでも歩かないといけないから運動から逃げれない)

愛宕山登山

 ということで、幻聴前にやってた愛宕山登山を再開。最初はあんまりしんどいので神社までいけないくらい。歩くのもなにか体に逆の動きでブレーキかかっているのを無理に押していくような感じで、休み休み登るだけで五時間かかったりしていたが、毎週登ってみたところ、すこしづつ改善。体調はよくなってるがなんかブレーキがかかるのが問題というところで体の使い方に注意を向けるようになり、それで先週なんとか愛宕山の清滝の鳥居から上の神社まで二時間程度で登れた。

浅漬けソバ

 あとは食事だが、スーパーで売ってる安いぶっかけソバにスーパーで売ってる袋入りの浅漬けをぶっかけて食うという技をあみだして、それを中心に食うようになった。要は朝鮮の冷麺を食べたくなったが、どうも京都で食えるのはいまいちに感じるのに高い。そもそも冷麺とは何なのか? というところから研究した結果、麺は本来はソバを中心とした雑穀、スープは水キムチ、ということでソバと浅漬けを汁ごと食べるので代替できるではないかということにたどりついたというわけだ。それでか便通の方も徐々に改善。

腹と腰の感覚

 まぁそういう次第で、運動と食事両方からアプローチして腹と腰あたりの感覚の回復を目指してある程度の成果を得た。そうやってすこしづつ体の全体性を回復させる方向へ行くしかないだろう。後の事は後で考える。