メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

幻聴にきくピップエレキバンMAXとコンギョ

ピップエレキバンMAXとコンギョ

 幻聴開始後からまもない初期に買ってしばらく首筋や耳に貼ったりしていたが、脳への悪影響も懸念してやめていたピップエレキバンを再度もちだしてみたらわりとよかったので書いておく

ピップエレキバンMAX

 幻聴もだいぶマシにはなってきているのだが、なんというか神経に雑音が常時入ってて脳活動がジャミングされてるような感じがあって、じっくり考えるみたいなことができないままだった。ときどきなんか左耳のあたりでスピーカーのビビり音みたいなのが聞こえる事ややたら左の方から耳垢が出る事に気付いていたが、一月末くらいにそのへんに注意がいって耳の前のあたりを指で押さえてみるとなんか気持ちが楽になる。ということで、ためしに、幻聴初期に買ったけど、磁力が強いので脳への悪影響を懸念してやめていたピップエレキバンMAXを再度もちだしてきてその耳の前のあたりに貼ってみるとなかなかよい。ちなみに耳珠の前のやわらかいところで、動悸を感じるくらいのところ。感覚的には脳へのノイズが減ってすこし物を考えれるようになった感じ。それからだいぶ体も楽になってよく動くようになった。

幻聴が消えるわけではない

 しかし幻聴自体が消えるわけではない。機能性幻聴といって、そのへんの雑音にのって聞こえる幻聴はまだ聞こえるのだが、それが「聞こえるだけ」になった。要は、幻聴が聞こえてもそれが気になるのは「幻聴が気になっているのではなく、それに付随して起こる身体現象で体への負担がかかっている」のがかなり大きいということだ。前からその点には気付いていたが、幻聴自体がそれを隠している感じがあった。二年間も幻聴を聞かされつづけてもうかなり慣れてきてしまっているが、その身体現象はそれで体が動かなくなるわけだから抵抗のしようがない。なんか方法があるはず、ということでいろいろ試してはいたが、いまいち解決力に乏しかった。今までいろいろ試した中で一番きいてるのがこのピップエレキバンMAXを耳の横に貼る方法だ。

 ちなみにピップエレキバンよりも強いネオジム磁石が百均で売ってるのでシールみたいなのを買ってくれば代替はできるだろうが、強すぎるので人体への影響がよいかどうかはわからん。脳の動きの基礎とされるのが神経組織の結合点でおこるイオン交換による電位差の伝達だが、それに直接影響を与えそうな気もするし、全体に同じ方向へかかるので全体としてはそれほど影響ないのかもしれない。よくわからん。ただ、今はその脳へのノイズ源がどこかにあり幻聴がそれを隠しているので、そのノイズ源をピップエレキバンの強力な磁力で抑えられるなら抑えたい、という気分で貼っている。とにかく実感としてはよくなっているのでわかりやすい害がなければ理屈はどうでもよい。

コンギョ

 あと残ってるのが環境音にまぎれて聞こえる機能性幻聴だが、こっちもコンギョを流しておくと、どういうわけかわからんがわりとすっきりするのがわかった。


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 ネットでみると「コンギョはK-POP」とかいう声もありまぁそういうことにしといたらネタとしてはおもしろいが、それと同時に、聞いてると「ギザギザハートの子守唄」とかアニソンとかいろいろ思いだすのでまぁ北朝鮮で政治的目的のためにそのへんの曲を下敷にして適当にこしらえた一時的な曲どいうことかもしれん。日本の歌謡曲でも洋楽のカバーというかパクリというかそういうのはよくあるので実は他にも元ネタがあるのかもしれん。そういう日本の曲を知らない若い世代がハマるのもわからんでもない。

ja.wikipedia.org

 wikipedia をみると、関連項目として同様の北朝鮮の曲で「将軍様は縮地法を使われる」が韓国で、「私たちはあなたしか知らない」が中国でカルト的な人気があるとしているのだが、国民性が反映してると言いたくなるような、微妙に偏見のまじった選曲で、それ自体がかなり恣意的に選ばれた曲としか思えない。そもそもその「中国でカルト的な人気がある」曲で安倍晋三を称える曲を作ってtwitterとかでオモチャにしてたのは日本だろ。今となってはこれも統一教会がしこんでいたのかと疑ってしまう。本当に韓国で「縮地法」の曲が流行ってたのだろうか。まぁ聞いてみたらどっかで聞いたような、なんかコンギョが彷彿とさせる曲よりさらに古い1970年代くらいの曲を下敷にしたようなどっかで聞いたような感じの曲だったので北朝鮮がいろいろ作り飛ばしてる幅が広いために若い世代が知らない昔の曲みたいなのを選択してしまうのかもしれない。


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 まぁそれはそれとして機能性幻聴に効くといってもこっちは効き方の理由がよくわからんが聞かせただけで効くならいやになるまでとことん聞いてみることにする。