メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

大浜レクリエーションの森はいつできた?

 新宮の海岸線は王子ヶ浜というが、その北側を大浜というらしい。そこに松林があり、レクリエーションの森という看板が出ている。

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 レクリエーションというからこれも瀬古市長のころの新熊野林間リクレーション構想関係なのかとおもって調べたらすこしちがった。カスってはいる。

 その森の一部を切り取ったように総合体育館があるが、その前に瀬古市長の名前が入ったよくわからない記念モニュメントがたっている。これも関連してるのかとおもったが、調べてみるとすこしちがった。

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 この体育館は昭和55年(1980)にできているので昭和56年に策定されている国土庁の旗振りでできた新熊野林間レクリエーションとはまったく別にできたものだった。広報しんぐうをさかのぼってみると、まずその海岸の国有林の一部を払いさげてもらうところからはじまり、昭和53年(1978)からの三年計画で国などの補助も得て作ったものだという。しかしそれは体育館のことであり、レクリエーションの森ではない。

 その国土庁の計画は国の補助が出るものだけ載っているのだが、その計画を地方で敷衍して、地方だけの資金で作る計画も載ったものが『新宮周辺新広域市町村圏計画』、昭和56年(1981)3月になる。それをみるとスポーツ・レクリエーションの中に

大浜健康の森公園 昭和56年度 一般財源

大浜野外運動場 昭和56-57年度 一般財源・地方債

 とある。こういうふうに開発するという案があったようだ。しかし結局できたのが

大浜レクリエーションの森散歩道 昭和57年(1982)7月

 だった。広報しんぐう(昭和57年3月)には「新宮営林署の協力を得て、市内大浜地区にある松林の中に遊歩道を作っています」とあり、運動場や公園として整備するのはあきらめて、松林をそのまま利用して間に遊歩道を作る方向に切り換えたようだ。どういう理由でそうなったのかまでは調べきれていないがどうせ財政的理由か林を保全するためかそのへんだろう。

 まとめると、瀬古市長による新宮独自の開発計画で大浜の国有林を払いさげてもらってまず総合体育館をつくったものだが、そこで国土庁が旗振りしてできた「新熊野林間レクリエーションエリア」構想が入り、その一環でのこりの松林を遊歩道として整備した、ということになる。

BOOX Note 10.3

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熊野同友―瀬古潔三〇〇〇日の行とそれを支えた人々 (1984年)

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