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君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

非破壊スキャン装置の自作

非破壊スキャン装置の自作

 スマホで本のコピーをする話題は↓で書いてます。今回は装置を格安で自作したという話です。

inudaisho.hatenablog.com

まずは成果をご覧あれ

 まずは作ったものの写真でも。

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装置全容

 このために買ったのは以下の通り。

 要は「ある一定の高さのところから」「光が十分あるところで」「画面に触れずに写真を撮る」ためにこれらを買ったということ。柱のダンボールはスーパーで抵当に拾ってきてカレンダーの裏紙を貼って白くした。そしてダンボール柱はA3(A4見開き)が入るのを前提に高さを計算したので、それより小さいもののための台も作った。

ライトの問題

 ライトのスイッチをいれるとこうなる。

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点灯時

 十分明るいように見えるが実際にはリング状の明るい帯ができて隅が暗くなる。要は光にムラができるということだ。わりと近いところで照らすのでその問題がでてしまうようだ。最初は帯状のLEDを買ってきて工作しようかとおもったのだが、結構値段もするので逡巡するうち、ドスパラに行ってみたらこれがあったので買ったのだ。光が強すぎてもいいことはない。全体にぼわっと白くなればよくてそのために複数個の光源をつけたりした方がいいのだがまぁそこはしかたない。

 このリングライトだがしっかり固定すると揺れやすくなる。柱がダンボールで軽いからだ。そこで、ライトを釣るような感じのユルユルで固定するとそれが振り子の動きをして揺れを吸収してなかなかよかった。

台の問題

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台に家蔵書を置いたところ

 本を上向けに水平に開くのは難しいので、谷になる台をつくった。こうすると常にななめになるので気になる人もいるかもしれないが歪みとりをする場合も歪みが一定の方がやりやすい。そういう装置をつかわずに机の上に置いて手で高さを取って画像処理した画像がこちら。

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机において手でとった写真

 結局片手で押さえるので隅の方が浮いて揺れてしまうことがあって、光量が少ないこともかさなると、こんなふうに隅の方がカスれてしまう。ところが、この装置をつかうとこうなる。

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この装置使用

 というわけで傾斜のある台があるとこんなによい。

シャッター

 シャッターは百均で売ってるBluetoothのシャッターを買った。イヤホン端子があるスマホなら、ボリューム調整できるイヤホンでもおなじことができるらしいが EssentialPhone にイヤホン端子がないのでこうした。いずれにせよ遠隔シャッターができると、両手で押さえながら撮れるのでよい。それに画面をタッチすることで発生する揺れを完全に押さえることができる。

かたづけるとこうなる

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かたづけたところ

 かたづける時のことを何も考えずに作ったのでこうなったが、ダンボール柱にものを収納できるように加工すればもうすこしまとまるとおもう。ワイヤーネットがいい感じに入るようにするとよさそう。

かかったカネ

 しめてだいたい1500円。そのほとんどはリングライトなので、既存のライトやスタンドを流用すると500円弱になる。その場合複数個つかった方がよい。紙を駆使して散乱光にするのも手。

叢書の古本は今買わないと消えてしまうかもしれない

百万遍智恩寺の古本まつり

 今年は久しぶりに百万遍智恩寺の古本まつりに行った。大学にいたころはよく行って変な本を集めたりしてたが、最後の方には買うモノが戦前の写真集みたいなのばかりになってしまっていた。大学を出てからはあちこちブラブラしていたので行くこともなくそもそも日本の本を買う気があまりなかったのだが、ここ最近日本のものばかり読んでるので、そういえば昔オークションで英語の辞書を格安で買ったけど結局あんまり使わなかったなとおもいながらチャリティーオークションに行ったのだった。

日本名著全集(江戸文芸の部)

 土曜は国史大辞典を落とそうとがんばったのだが5000円くらいまで粘ってじいさんに根負けしてしまった。今からおもうと8000円くらいまではがんばってもよかったかもしれん。

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日本名著全集(江戸文芸の部) 全29冊ということだったが30巻と27巻が欠けていた

 日曜落札したのがこれ。日本名著全集江戸文芸の部。全29冊というふれこみだったが実は全部だと31冊で第30巻と第27巻が欠けてた。まぁそれくらいはいいんだが、実はこれ零本で数冊買って持ってるんだな。↓

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既に持ってる分

 まぁそういうわけで24冊新しく手に入れたことになる。これも対抗馬に根負けするかとおもったが、不思議なことに誰も競りに来なかった。

日本絵巻大成正編、大漢和

 そして今日月曜。日曜は人がたくさん来ていてなかなか難しかったが、月曜は土曜みたいに冷え冷えだろうと思ってまた行ったらやっぱり冷え冷えだった。それでうっかり競り落したのが日本絵巻大成正編と大漢和。

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日本絵巻大成と大漢和

 日本絵巻大成は正編27冊のうち第六冊鳥獣人物戯画がないもの。非常にでかい。これは普及版がでてるのでまぁこんなデカいものを今わざわざ買う人はいないということなんだろう。

 それから大漢和。これは土曜にも日曜にも出てた。実は漢語大詞典持ってるので要るかといえば微妙だが、最近日本のものばかり見てるのであったら便利かもしれんということでちょっと狙ってはいた。土曜はなんか若者が買いたそうにしてたので競らなかった。日曜は4000円くらいまで行ったので当然その前に降りた。今日はえ?これで?みたいな額で買えてしまった。まぁちょっと箱が水で汚れた跡があったのでそれでちょっと値打ちが落ちてるのかもしれんが、箱なんかなくていいくらいなのでこれでよい。

紙の本の値打ちがなくなってきている

 今回の古本まつりに行ってみると均一コーナーに意外なものが出ていることが多くなってるようにみえた。しかもこのチャリティーオークションの冷えようもすごい。もう紙のごつい本を買う人達がいなくなっているのだろう。市場というのは十分な需要と供給があってなりたつものなので、ある程度以上安くなってしまうと商売がなりたたず消滅してしまう。だから、その昔は手が届かないとおもっていたような叢書なんかも買う人がいなくなってゴミ箱へ直行する時代がくるかもしれない。捨て値で出てる今の間に買っておかないと買える場所すらなくなるかもしれないんので今のうちに買えるものは買った方がいいような気がしてついつい買ってしまった。

それはそれとして

 それはそれとして今回つい買ってしまったものを紹介。

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三国志集解その他

 これも実はオークションで出てて安かったので、三国時代とかたいして興味もないのについ声を上げてしまったら手に入ってしまった。だいたい中華書局二十四史を縮印本で持ってたりする。

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中華書局二十四史縮印本

 比較してみるとこんな感じ。

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左:集解 右:中華書局排印本縮刷

 残念なことに三国時代そんなに興味ないのでうーむ。それに中国のネットで(略

 手を上げずに流しておけば物好きの手に渡ってたかもしれんな。その方がよかったか。

スマホで本のコピー(スキャン)

コピーは本を壞す

 その昔大学の学部にいたころは一枚4円のコピー屋のスタンプカードをつくってせっせせっせと埋めていたものだが、去年レーザープリンター複合機(五万)を買ってそれをコピー機のようにして使う事が多くなった。しかしそれだとかなり本を広げないと本の谷間が読めなくなってしまう。しかし無理に広げると同時に本を壊してしまう。自分の持っている本ならどうでもよいことだが、図書館の本となるとそこまではできない。というわけでやはり「非破壊スキャン」の道を模索したのだった。

スマホで撮影

 手段についての結論は最初から出ている。スマホで撮影の一択。スマホは常に持っているものなので他に特殊な道具を持ち歩いたりしなくてよいというのがその理由になる。本のスキャンに特化したアプリなどもあるのでそういうのを使いたい向きは使えばよい。いくつか使ってみたが、クラウドへのアップロードを要求されたりそれで固まったりいちいち補正の手順が入ったりと、いろいろ難があるのでやめた。じゃんじゃん写真を撮り、ノートパソコンで後処理することにした。失敗してもそのときは何もせずじゃんじゃん撮りなおす。コピーだと紙と金がかかるが、スマホで写真を撮る場合、何枚撮っても金はかからないかわり、もたもたと作業していると時間が消えていく。コピー機の場合、読みながらすると時間がよけいにかかるが、スマホだと流し読みしながらできるので、その点もよい。

 ただしスマホだといろいろ問題もあって、ただでも小さい機械の画面をタップして撮影するのでどうしてもブレやすい。またどうしても版面が歪むのだが、その方が「私的複製」感があってよい。読めればよいのである。

画像処理の比較

 後処理は白黒2値化→PDFで、これでスマホの写真一枚が2メガくらいあるものが、百枚くらいあっても10メガ程度まで圧縮される(図版の量次第)。問題はその白黒2値化だが、大津の技法(Otsu's method - Wikipedia)と適合的閾値処理の二つを使っている。白黒二値化するときに、単純に0-255の間のどこかに閾値を置いて上下を白黒にわけてしまうのが一番簡単なやりかただが、その閾値の撰び方を「いい感じ」にやってくれるのが大津の技法。適合的閾値処理は狭い区域での閾値処理を全体通してやるというもので輪郭抽出に近い。どっちも一長一短ある。そこから一歩進んで輪郭抽出して歪みを検出して補正したりするといいんだろうがそこまでやってない。

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日本名著全集(江戸文芸の部) 全29冊ということだったが30巻と27巻が欠けていた

 というわけで今日百万遍の古本まつりのチャリティーオークションで落札してきた日本名著全集の一枚をつかって後処理の比較をする。

十分光があるところ

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十分光のあるところで撮った画像

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大津の技法
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適合的閾値

 さてこうして見ると大津の技法で十分にみえる。実際十分明るいところで写真を撮ると、写真図版でもそれなりにきれいに白黒になる。ここで、この場合だとあんまり必要でないとおもえる適合的閾値の特徴をみてみよう。まず、影が白くなる。それから図版の黒が白抜きになってしまう。全体に白くなってて、あんまり読みよいともおもえない。ところがこの特徴、ちょっと影のあるところだと使えるのだ。

すこし光が足りないとき

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すこし光が足りない

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大津の技法

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適合的閾値

 さてちょっと光が足りないので影ができた。大津の技法でやると影の部分が黒くなってしまう。しかも明るいところがうすくなってしまっている。ところが適合的閾値だと少々の影はなんでもない。それどころか暗いところも明るいところもまんべんなく字を拾ってきてくれている。文字だけの本であればこれで十分。家が少々薄暗くても影ができていてもよいのでこれは強い。それに、本によっては手で押さえることになるが、手が画像に入りこんでも白く飛ぶのでさらによい。

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入りこんだ指がどうなるか比較

もっと足りないとき

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もっと光が足りない
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大津の技法
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適合的閾値

 ただしあまり光が足りないとやはり無理になる。既にすこし足りないときでも暗いところの一部は若干字が飛びかけていた。こっちだともっと字が飛んでしまっていてさすがに読みづらい。ただしこの飛ぶというのは手ブレが原因のこともある。暗いと露出時間が長くなるので、ただでもブレやすいスマホがよけいにブレる。すると画像の文字の輪郭がはっきりしなくなり、入りこんだ手の指が白く飛ぶのと同じ原理で飛ぶわけだ。

大津の技法と適合的閾値の選択

 大津の技法も適合的閾値も状態によって一長一短あるので、今は生成するときに両方同時に生成してその結果をみてどうするか決めている。なかなか全部自動化するのは難しい。ちなみにこれ、大津の技法とか適合的閾値とか書いてるが、全部自分で一から実装してるだけではなく関数を呼んでいい感じに設定してるだけなのですごいことしてると勘違いしないように。プログラミングの初歩がわかってたら誰でもできる。一から実装するだけの根性があったら歪み取りとかもやってる。

スマホは非破壊スキャンにつかえる

 ということで、まとめ。

  • 字の画像だけならスマホで撮った写真を適当に画像処理するだけでいい感じに非破壊スキャンできる。

  • しかも少々なら薄暗くても影ができても問題ない

  • スマホは携帯性に優れていてよい

 スマホの問題点である「ブレやすい」とか「歪む」という性質をなんとかしたくなったら、↓こういう専用の機械でどうにかするしかないですな

富士通 スキャナー ScanSnap SV600 (A3/片面)

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正治二年官位次第の謎

正治二年官位次第

 京都の北の山国に「正治二年官位次第」という文書が残されている。要は由緒があるとされる名主家の名簿のようなものだが、翻刻されて『丹波国山国荘史料』(1958) の由緒書の部の冒頭に置かれているので、研究者がいじろうとするととりあえず言及してしまう。しかし、誰がみてもあやしいのでこれが偽文書であることは前提として話が進められている。

文化4年(1807)時点で既にあやしい

 しかし今見て怪しいものは昔見ても怪しいものであるということを示そう。同志社大学人文科学研究所の河原林文庫にある「山国名主旧例規矩改正書」文化4年(1807)の末尾に、「つくったから大事にとっておけ」とでも要約できる文章が書いてあるが、その中に「宝暦年中の撰伝集はおかしいところが多い、中でも正治二年の書記はひどいので使ってはいけない」とその前の名簿を非難している。河原林文庫本はそれが書かれた一葉自体が本文と異筆で追加されているのだが、その部分に続けて「古老惣代」たちの名前が書かれているので、破れたのを後から補ったのだろう。ただそのときの転記ミスが多いようでところどころ意味をなしておらず要約で示した。

 名主名簿と由緒が書かれたものは『古家撰伝集』弘化4年(1847)本の製本がよくできており一番多く残っているので由緒について云々する場合はこれをベースにされる事が多いが、実はその中で「文化年間の旧例規矩改正書は私意が多いので宝暦本に沿って新しいものを作った」という風に書いてある。だから今でも正治二年官位次第が云々されるのであろうが、要は由緒書なるものはそのときの都合と歴史感にあわせて作られた政治文書でもあるので、正治二年官位次第が一貫して支持されたわけでもないのである。

西尾正仁は室町時代後期に比定

 さて以前手放しで絶賛した西尾正仁の山国の由緒書研究であるが、それは由緒書を地方政治が反映されたものとして歴史的事件と繋げて考察した手法がすばらしい(本当にすばらしい!)というだけで、西尾氏の言ってること全てに従えるというわけではない。それはもちろん坂田聡が指摘したようなその根拠にした文書も偽文書というようなことではなく(それが西尾氏の業績を否定するようなものでないことは前書いた)、西尾氏は限られた山国の文書群をもとに立案したのでしかたなかろうという話だ。

 「正治二年官位次第」の作成年代についてだが、西尾氏はこれが「家伝編纂の根本資料」だったという観点から由緒書変遷の最初期(15世紀半ば~16世紀半ば)に置いた。西尾2013では「官位次第」については16世紀半ばとその期間の末尾に持ってきている。理由は宇津氏の名前がそこにあるからだが、それだと上限というだけだ。

上の原

(20191106 この項あんまり意味ないので消した)

政治的年代の確定

 また、西尾氏が示したように、政治的な事件や事柄がその動機だとすると、その年代もなにかしら政治的な事件を踏まえているのではないかという事になる。ただ、正治二年前後は特になにかありそうな年代ではない。

 では何が手掛かりになるかというと、意外かもしれないが偽文書がつかえる。竹田聴洲『近世村落の社寺と神仏習合』(1971、著作集4)では山国本郷以外で作成されたものとして『古家連党旧集記』『御杣使受領日記』の一部が紹介されているが、そこでは大布施地域が山国から分離して山城国に属した年として正保二年(1645)が挙げられている。つまりその年はエポックメイキングな年というわけだ。竹田聴洲もそこをわざわざ翻刻して載せてくれているということは、そこに意味を感じて材料として残しておいてくれたのだろう。つまりこの年を意識して正治二年の名簿を作ったのであれば、これ以降ということになる。なりたたないというのならなぜ「正治二年」なのかを示してもらいたい。実はこの件についてはまだちゃんと手もつけていないのだが、とりあえずさらに上限を慶安元年(1648)よりも後に下げれると思っている。いわゆる慶安元年の改記とおぼしきものが公開文書群の中にあり、そこに正治二年の事なんてどこにも書いてないからだ

(20191102追記) この記事の意味

(20191102追記) さてこの「重箱の隅」記事の意味は何か。この正治二年官位次第だが、坂田2014でも16世紀末~17世紀前半とどうしても16世紀に置きたいらしい。そもそも西尾氏は坂田の家論にあわせてその正治二年官位次第を由緒作成過程の先頭に置いている。つまりこういうのをつくったのは家意識の発露というわけで、だからこそ坂田の家論に合わせるとなるべく前の方に置かないといけない。でも自分は坂田の家論に話を合わせるつもりはないし、これを家意識の発露とかいうつもりもないので、無情にグっと下げてみたというわけです。一応史料的理由も書いた。

由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に

由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に

  • 作者:馬部隆弘
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: 単行本

地下官人の近衛府官人(御随身・府随身)は朝廷の忍者?

近衛府官人の出身の謎

 さて、一般に「農民隊」扱いされている山国隊の中心人物の水口市之進(右門)が実は朝廷に仕えた地下官人でもあったことを前書いた。もっとも、戊辰戦争のころには地下官人の役目(跡職)を養子に譲った状態ではあった。それから、地下官人といっても六位どまりの下官人なので、実は金で買っただけかもしれない。だから最幕末に山国でおこった官位拝任運動というのは、水口市之進が五位をもらうために山国をまきこんだものかもしれないが、そもそも水口が山国の目となり耳となっていた節があるので、そこは避けようがなかったのかもしれない。

 と適当なことを書いておいて本題に移る。前に書いたように、山国の水口家とは別に、京都の水口家というのがあり、こっちは『地下家伝』によると江戸時代の前期から地下官人をやっていて、しかも分家が増えて近衛府官人(随身)の中ではなかなかの勢力である。ただしその家が実際にはどういう系図や由緒を持っていたのかがわからなかった。ただ、地下官人の研究に使える史料は『地下家伝』だけではない。というわけで、京都学歴彩館にある下橋家資料の『地下官人家伝』を見てきた。『地下官人家伝』は『地下家伝』をもとに拡張した資料ということになっている。みてみると近衛府官人では若干の家に由緒の要約の付記があったがおもしろいことがわかった。

京都の水口家は甲賀出身

 『地下官人家伝』によると、京都の水口家は甲賀出身である。しかし、あたかも京都の山国の室町時代後期の四荘官比賀・久保田(窪田)・畠井(鳥居)・水口が甲賀出身で、しかも水口以外は戦乱で消滅したように書いてある。足利義昭甲賀に脱出し、さらに越前へ逃げたときに同行し、戦いの敗北で脱落して山国に落ち、寛永元年から地下官人になったという。木地師の由緒ででてくる惟喬親王もでてくるようなものなので、かなり出鱈目にみえるが、そのように称して堂々と職を得たということであろうか。

近衛府官人の三上家は豊臣秀吉の大名中村一氏の子孫

 近衛府官人の部は全体にあまり家伝がなく、水口家のように詳しく書いてある方が珍しいのだが、他に詳しく書いてあるのが三上家である。近衛府官人で最も由緒正しい事になっているのは調子家であるが、三上家はその家に次いで高い序列にある。ところが、その家伝をよくみると、なんと豊臣秀吉の大名である中村一氏その人が出てくる。

 まず武庫郡兵庫の秦氏が応永20年に三上の姓をもらったことになっている。それから累世兵庫での武家として官位をもらっているが、中村一氏になってやたら詳しくなる。しかしその内容がまたあやしい。関ヶ原戦の後一氏は京都の松尾社旅所の社家になり、長男一学が丸岡城、二男が御随身をひきついだということになっているのだが、その二男が死んだあと御随身をひきついだのがまた一氏の二男でよくわからない。そもそも一氏が死なずに社家におちついているし、嫡子一忠がもらったのは米子城である。

 もっともこの時代は一次資料からの再検討でどんどんこれまでの話が変わっているので、中村一氏についても変わるかもしれないが、京都の水口家のあやしさからみると、これもあやしいとみてよいのではなかろうか。

系図のあやしさ

 この系譜のあやしさがなぜ許されたのか、だが、そもそもこのころの系図の権威は摂関家などの公家であり、徳川家康なんかも系図の操作を公家方に依頼している。その公家に直接仕える人たちの系図がこれなのだから、あやしい系譜が公認されていたということだろうか。

これだけでは忍者説には弱い

 ところで中村一氏の系譜はそもそもよくわかっておらず、『近江国輿地志略』などでは中村一氏甲賀の多喜村出身としている。それが事実どうかはともかくも少なくとも甲賀郡の水口を支配したことがあるので、甲賀になんらかの縁はあるとはいえるだろう。また、京都の水口家も甲賀出身を称している。近衛府官人には他にも土山家があり、これも名前だけみると甲賀にある地名である。

 ただしこれだけでは彼らが甲賀者、つまり大雑把に言ってしまうと忍者だったというのは難しいのだが、偽書の可能性の高い系図や由緒を元にして江戸時代の朝廷に忍者がいたというよりは、まだおもわせぶりな書き方でごまかすこともできそうではある。

川上仁一と甲賀隊(甲賀勤皇隊)

 さてここで三重大学に忍者の技術を提供している川上仁一さんに話を変える。この川上氏、前調べたときは藤田西湖みたいな人でかなりうさんくさいなと思っていたのだが、今回これを書くのですこし調べて見方を変えた。川上氏に忍術を仕込んだ人は川上氏の父親と軍隊でいっしょに働いていたらしい。となると、偶然どっかのあやしいおっさんがいきなりそのへんのガキをつかまえてこっそり仕込んだというわけではなく、それこそ親も承知の上で仕込まれていたという話になる。しかもその仕込んだ人の技術は、甲賀の人が甲賀隊を編成して戊辰戦争に参加したときに再度技術の結集がおこなわれたものがもとらしい。一応話としてはそれなりに繋ってくるわけだ。特にこの甲賀隊が重要な意味を持つのでちょっと覚えておいてもらいたい。

「禁裏警衛の村雲流忍術」

 ところで三重大学は読売新聞三重版に忍者学の最新動向を紹介する新聞連載の枠を持っているのだが、そこで川上氏は2019年6月19日に「禁裏警衛の村雲流忍術」という記事を書いている(実見したのは10/20)。タイトルをみて焦ったのだが、内容はその他川上氏の著作で紹介されてるようなものだった。概要としては、村雲流忍術の文書があり、それをもとにして多紀郡やわが山国を本拠としていた忍術の流派があったということにしている。

 実はこのあたりの伝承について、自分は忍術とはまったく関係のない方面から資料を集めたので、この伝承がどのように形成されたのかだいたいのアウトラインは掴んでいる。なので、その膨大な系譜についてはかなり偽作の可能性が高いと思っている。変遷に数段階あるのだが、その最後の方では水口家が地下官人を買うために創作したものだろうと思う。そのかなり後ろの段階でなぜか我が野尻家の名前が混入してしまっているのだ。そういうわけで、川上氏がこれをあちこちで書きまくると泥棒さんの活動が活発になってうちが困るので、川上氏には、一度村雲流忍術について詳細を流布するのはやめてもらいたい。といいたいところだが、川上氏所有の「村雲流忍術」に関する文書を見ないとどういうストーリーがそこに書かれているかわからないのでなんともいえない。

近衛府官人(随身)と忍術

 まず最初に近衛府官人の系図甲賀に関連した記述がなぜか多いことを書き、その次に川上氏の村雲流忍術の記述が偽書に基づいている可能性があるということを書いた。では、川上氏が書きたかった「禁裏警衛の忍術」の存在も雲霧消散するのであろうか。

 実は偽書であろうとも、そういう忍術書が存在しているということに意味がある。山国の水口家が近衛府官人(随身)の役を買うためにでっちあげた書物の中に忍術書がある、ということだからだ。そして山国の水口家はその手段で成功したのだから、忍術が評価されていたということになる。となると、近衛府官人の甲賀者との関係を匂わせる系譜についても見方が変わってくる。その記述は偶然ではなく、近衛府官人には甲賀者もしくはそれに準ずる者、つまり乱暴に言うところの忍者があつまっていたのではなかろうか。系譜のあやしさも、逆にあやしいものをそれらしく作る技術は高く評価されていたのかもしれない。まぁかなり弱い証拠ではあるが。(そうした技術が評価されていたとすれば伝承の系譜はともかく実質はあったのかもしれないが資料がないのでわからない)

甲賀と禁裏警衛

 ちょっと甲賀地方の図書館をまわったのだが、地方の文書の中に「甲賀士之儀者、往昔禁裏警衛之士ニ而御座候」と書いてあるものがあった(甲西町教育委員会『宮島英夫家文書調査報告書』2001)。最近の研究で甲賀の人たちは忍術書を編纂したり五十三家二十一家の由緒をつくったりして仕官運動に励んでいたが、甲賀隊を編成した最幕末期には甲賀者が朝廷に仕えていたことを強調する言説が登場したということになっている。その変節をあげつらう向きもあるようだ。おそらく川上氏は、甲賀の人たちが幕末にもちだした「禁裏警衛」の言説に裏付けを与える動機があって、村雲流忍術の書を持ち出してしまったのではなかろうか。

 しかしそれが偽書であっても、それが使われた背景を探ると、往昔どころか江戸時代の朝廷にいた「かも」、というふうに話をもっていくこともできる。

(ここで非公開資料は使ってません。非公開資料で細部を補足修正できるが、論旨としては使う必要がない)

忍者の掟 (角川新書)

忍者の掟 (角川新書)

【忍者 現代(いま)に活きる口伝】~“忍び

【忍者 現代(いま)に活きる口伝】~“忍び"のように生きたくなる本~