メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

熊野を「こもりく」とか呼ぶこと

 熊野について「こもりく」とか隠国とか書いて死の国とかなんとか言う人たちがいる。まぁ四国を死国と書いて面白がるのと大差ないんだが、そういう意識はないようだ。そもそもそういうのが流行ったのは昔の話か。

 熊野が流行ってた当時でもそれに反発する声はあった。ここでひとつ紹介しよう。

へたに文字を使うことを知っていたり、なまじ文章が書けたり、私は小説家だと豪語する人たちの中に、奇妙な思い違いがある。
熊野を隠国(こもりく)だとか、根(ね)の国だとか書きたがる。
 (略)
 明るく暖かい大洋に向い、常緑の厚い歯がつやつやと陽に輝いている照葉樹林の山、遥かな山嶺でもなければ積雪をみることができない太陽の照り輝く熊野地方が、なんで"隠国" "根の国"であるものか
 熊野を"こもりく" だとか"根の国だとか表現して平気でいられる人は、熊野を頭の中でコネ廻して考えるだけで、熊野の山を、川を、海を、ことには熊野の人びとのくらしを自分の目で見、自分の耳で聞き、皮膚で感じる、それができないか、熊野そのものをヨウ見ずに文字の上での熊野ことばの上での熊野しかみとめる能力がない、生きながら死んだ感覚を持つにすぎない人である。

 さんでージャーナル 540号 昭和53年1月1日 「熊野は紀伊の一部ではない 熊野は伊勢の一部ではない 行政区劃越ゆるものを探る」
さんでージャーナル社(和歌山県新宮市)

 根の国とかいうのはまぁ日本書紀に書いてあったりするからしかたない面もあるが、そういうイメージを南国熊野にあてはめるのもまた辺境に対する蔑視であるにはちがいない。まぁ最果ての地に鬼が住むとか言ってた時代と意識的にはあんまり変わらないんだな。

 ちなみにこの文章の前段は市会議員の某が「熊野は海と山で成り立っていることが、熊野を離れてわかったよ」と言いだすところから書きだしている。二木島のあたりまで車を走らせて、山が海につっこんでいるように見えるところの先に集落がへばりついているのをみてそう実感したそうだ。自分は北の伊勢の方から熊野に入ってきたので、二木島のあたりの狭い道をくねくね走ったあと熊野市のあたりが一望できるところに出たとき急に長い砂浜が遠くまで続くのが見え、しかも強い風でその浜から砂埃が立っているのを見て、なんかすごいところに来たぞと思ったのは覚えている。まぁ土地の印象なんてのはそのときの偶然による程度のものかもしれない。

 新宮からはじまった(ことになっている)オークワの店舗はたいてい立体駐車場があり、その狭い通路をグネグネ登っていくのがなかなかおもしろいが、立体駐車場のいいところは日陰が多いということで、ただでも日差しの強い熊野を車中泊で観光していると、この日陰があるということが非常にありがたい、という実体験からもこの南国熊野という意見はなるほどまったくそうだと思ったものだ。

熊野詣 三山信仰と文化 (講談社学術文庫)

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