一応金曜を新刊案内の日としているので出すつもりだったが、13冊を無理に3部にまとめて出そうとしたりそもそも着手が遅かったりして今日中に出せてもAmazonの審査までは通せないだろう。ということで気晴らしに青空文庫の金のネタでも書くことにした。
青空文庫は富田倫生さんが生きてたころはキチッキチッと会計報告していたのだが死んでからは全然公開されていなかった。青空文庫の会計年度は9月はじまりで、青空文庫のサイトをみる限りでは会計の人は別にいるし、納税とかしてる関係上会計のまとめはやってるはずなのに去年の分が公開されていなかったのは単純にそれを形にできる人がいなかったのかもしれない。人が一人死んだだけでこのザマということはどういうことだろうか。関係者として名前を連ねている連中は名前を連ねているだけということだろうか。
まぁ公開されていようがいなかろうがどうでもいいことだが、おもしろいことに死後、わざわざ募金を管理する団体「本の未来基金」とかいうのができたらしい。そっちでも2013年第3四半期に一度公開したきり、今回のアイデアソンとかいうのが始まるまで放置だった。本の未来とかいうのが大事で、集まってくる募金はどうでもよかったんだろうか。なぜ分離したのかも不明だ。金の処理といっても駅の前で募金をしているわけではないのだから、どうせ振込かなんかだろう。口座の管理だけが必要なはずで、青空文庫の他に別団体が必要なようにもおもえない。会計がいる団体からわざわざ会計がよくわからない団体に窓口を移したのはどういうことだろう。
募金者 → 青空文庫の募金用口座
だと口座に記録がのこり、募金を正確に申告しなければならなくなるが
だと操作したい額だけ青空文庫に入れたらいいからいろいろ楽だということだろうか。ボク子供だからよくわかんない
そういうわけだがアイデアソンの直前になって公開してきた。なぜか2013年第3四半期が消えて第4四半期になり、その次が2014年から2015年の5月1日までという状態で公開している。寄付されている額でみると2014年から2015年5月1日までで直接の個人献金が17万、Bookwarker経由の個人献金が51万と寂寥々たる状態。なるほどね公開もしたくなくなるね。もっともこれは土壇場になって公開したものを信用するなら、という話だ。団体があれば運営費が必要なはずだが、この「本の未来基金」、一切自分についての費用を計上していない。このサーバーは何なんだろうか。ドメインネームもタダで調達できるのだろうか。
規約をみるとおもしろいことが書いてある。
「本の未来基金」は以下の5名の運営委員によって運営されます。
運営委員は四半期に一度運営委員会を開催し、「本の未来基金」に寄せられた寄付を確認し、青空文庫に送ります。
結果からみるとつまり彼等は四半期に一度の運営委員会を開いていないということになる。開いていたとしてもその結果としての会計を公開していない。しかも今回公開された会計は四半期毎に区切られていない。
第1条 当基金の名称は「本の未来基金」とし、当基金の事務所を東京都渋谷区神宮前五丁目41番14号(株式会社ボイジャー内)に置く。
株式会社ボイジャーは四半期に一度の会計もできない人のあつまりらしい。有象無象があつまって無料奉仕でやってる団体なら会計がええかげんでも納得できるのだが、会社が背景にありながら何もしていないというのはどういうことだろうか。金にならないから放置なのか。
しかも青空文庫の会計が運営委員にいる。今回「本の未来基金」の会計が公開されたと同時に青空文庫の会計のリンクも公開されたが(青空文庫のサイトからは行けない)、タイミングが同時になるのも当然だろう。
もとに戻るがサーバー代やドメインネーム代などの必要経費はどこにいったんだろう。人件費も時給で出したとしても少しは必要だ。ボイジャーの丼勘定に消えていったんだろうか。どこまでが消えているんだろう。
まぁこれが関係者全員の怠慢によるものだとしても誰も咎めないだろう。みんなやる気がなくたっていいよね。お金にならないんだし。死にかけの人間が死ぬ気でやってた仕事と同じ事なんて誰もできないよね。
明日のアイデアソンでは「お金目当てではないやる気のある人」がほしいらしい。あぁ甘美な響きだね
(2015/06/25追記)
その後青空文庫の会計ページが更新されて昨年度への会計ページへのリンクが増やされたのだが、なんと会計ページにはこういうことが書いてある。
更新履歴:「青空文庫」
2006(平成18)年10月
2015(平成27)年5月10日修正
2015年5月10日作成
5/10に修正したならこの記事を書いた5/29時点で行けないことはないはずだ。アイデアソンとかいうのをやって人をあつめるくらいだから、少々公開が遅れたところで誰も文句つけない、文系は大変だねとむしろ同情が集まるところだ。それなのに金のことを指摘されたのが気になっているのか、わざわざこんな小細工をしかけてくるということは、やはりどこかあやしい事が裏でおこなわれているということだろう。
まぁ信じるものは救われるのが世の習いなので、こんな辺境ブログのクソ記事にまどわされず、善男善女の皆さんは喜捨すればよいのではないでしょうか。