新聞記事から藤田西湖の実像を追うという趣旨で、
藤田西湖の出身地 - メモ@inudaisho
4/4に書いた拙文↑よりももっと詳しく事績を追っていておもしろかった。『どろんろん』にときどき出てくる具体的な事柄がオカルト方面に傾いていて『どろんろん』全体の忍術修行の流れから浮いていることがあったが、そもそもオカルト方面から出発した人だったらしい。
ただしこれは真相を暴いたというようなものではなかった。なぜなら藤田西湖自身が自分の関係した新聞記事をその最初期の活動からスクラップにして残していて、しかもそれを隠さずに蔵書を寄贈したとき一緒に寄贈しているからだ。ちゃんと調べたらタネがわかるように藤田自身がお膳立てしている。
そもそも藤田西湖はそのオカルト時代、当時流行っていた心霊術の詐術を暴く道場破りをやっていたらしい。そういういった活動の成果として 1921『所謂心霊現象の原理及方法』1928『法術行り方絵解』という本まで出している。それが一転して暴く側から見せる側に変わり、忍術でござい忍者でございという方向になったのはどういうことか。
川上仁一 - Wikipedia
上掲山田雄司の三重大学の特任教授に「最後の忍者」という人がいて、この人のプロフィールをみていると藤田西湖の『どろんろん』的ストーリーに似すぎていてちょっと眉につばをつけたくなるが、それが真実であるとするなら、戦後の1955年に忍術を身につけた人間が生き残っているのだからその30年前にいてもおかしくはない。
最初は藤田西湖は伊藤銀月の研究が産んだ影のようなものかとおもっていたのだが、散逸せんとする忍びの技術を学術的に追ったのが伊藤で、技術的に追ったのが藤田ならわからなくもない。といいつつも山田記事によると、修霊鍛身会時代と甲賀忍術十四世時代でやってることがおなじだということなので、単純に暴く側から騙す側に回った方が金が稼げるとおもっただけかもしれない。
はたしてそのあたりを明らかにする資料など出てくるのだろうか。詐欺師・虚言癖などと決めつけるのは簡単だがいずれにせよ実証できないだろう。