メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

藤田西湖の新聞スクラップ

 山田雄司「異能の人"藤田西湖"研究」『月刊秘伝 2016年1月号』(2015/12) を図書館で読んできた。
 新聞記事から藤田西湖の実像を追うという趣旨で、
藤田西湖の出身地 - メモ@inudaisho
 4/4に書いた拙文↑よりももっと詳しく事績を追っていておもしろかった。『どろんろん』にときどき出てくる具体的な事柄がオカルト方面に傾いていて『どろんろん』全体の忍術修行の流れから浮いていることがあったが、そもそもオカルト方面から出発した人だったらしい。
 ただしこれは真相を暴いたというようなものではなかった。なぜなら藤田西湖自身が自分の関係した新聞記事をその最初期の活動からスクラップにして残していて、しかもそれを隠さずに蔵書を寄贈したとき一緒に寄贈しているからだ。ちゃんと調べたらタネがわかるように藤田自身がお膳立てしている。
 そもそも藤田西湖はそのオカルト時代、当時流行っていた心霊術の詐術を暴く道場破りをやっていたらしい。そういういった活動の成果として 1921『所謂心霊現象の原理及方法』1928『法術行り方絵解』という本まで出している。それが一転して暴く側から見せる側に変わり、忍術でござい忍者でございという方向になったのはどういうことか。

川上仁一 - Wikipedia
 上掲山田雄司三重大学の特任教授に「最後の忍者」という人がいて、この人のプロフィールをみていると藤田西湖の『どろんろん』的ストーリーに似すぎていてちょっと眉につばをつけたくなるが、それが真実であるとするなら、戦後の1955年に忍術を身につけた人間が生き残っているのだからその30年前にいてもおかしくはない。

 忍術研究のさきがけの伊藤銀月『忍術の極意』は初版が大正6年(1917)だが、甲賀の忍びの家の末裔にアクセスして文献を集めている。そもそも明治維新から五六十年くらいしか経っていないわけで、人間も文献もまだまだ生きていたということだろう。関東大震災に際会した忍びの末裔が、この世も終わりだというので目鼻の効いた奴に技術を伝えたこともあったかもしれない。
 最初は藤田西湖は伊藤銀月の研究が産んだ影のようなものかとおもっていたのだが、散逸せんとする忍びの技術を学術的に追ったのが伊藤で、技術的に追ったのが藤田ならわからなくもない。といいつつも山田記事によると、修霊鍛身会時代と甲賀忍術十四世時代でやってることがおなじだということなので、単純に暴く側から騙す側に回った方が金が稼げるとおもっただけかもしれない。
 はたしてそのあたりを明らかにする資料など出てくるのだろうか。詐欺師・虚言癖などと決めつけるのは簡単だがいずれにせよ実証できないだろう。



 ←ちなみにあつかましくも山田さんに直接メールで問いあわせたところ、四月末発売の新著『忍者の歴史』KADOKAWA/角川学芸出版 にも藤田西湖のことを書いたという話なので読めばなにかわかるかも。