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君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

幻聴にきくピップエレキバンMAXとコンギョ

ピップエレキバンMAXとコンギョ

 幻聴開始後からまもない初期に買ってしばらく首筋や耳に貼ったりしていたが、脳への悪影響も懸念してやめていたピップエレキバンを再度もちだしてみたらわりとよかったので書いておく

ピップエレキバンMAX

 幻聴もだいぶマシにはなってきているのだが、なんというか神経に雑音が常時入ってて脳活動がジャミングされてるような感じがあって、じっくり考えるみたいなことができないままだった。ときどきなんか左耳のあたりでスピーカーのビビり音みたいなのが聞こえる事ややたら左の方から耳垢が出る事に気付いていたが、一月末くらいにそのへんに注意がいって耳の前のあたりを指で押さえてみるとなんか気持ちが楽になる。ということで、ためしに、幻聴初期に買ったけど、磁力が強いので脳への悪影響を懸念してやめていたピップエレキバンMAXを再度もちだしてきてその耳の前のあたりに貼ってみるとなかなかよい。ちなみに耳珠の前のやわらかいところで、動悸を感じるくらいのところ。感覚的には脳へのノイズが減ってすこし物を考えれるようになった感じ。それからだいぶ体も楽になってよく動くようになった。

幻聴が消えるわけではない

 しかし幻聴自体が消えるわけではない。機能性幻聴といって、そのへんの雑音にのって聞こえる幻聴はまだ聞こえるのだが、それが「聞こえるだけ」になった。要は、幻聴が聞こえてもそれが気になるのは「幻聴が気になっているのではなく、それに付随して起こる身体現象で体への負担がかかっている」のがかなり大きいということだ。前からその点には気付いていたが、幻聴自体がそれを隠している感じがあった。二年間も幻聴を聞かされつづけてもうかなり慣れてきてしまっているが、その身体現象はそれで体が動かなくなるわけだから抵抗のしようがない。なんか方法があるはず、ということでいろいろ試してはいたが、いまいち解決力に乏しかった。今までいろいろ試した中で一番きいてるのがこのピップエレキバンMAXを耳の横に貼る方法だ。

 ちなみにピップエレキバンよりも強いネオジム磁石が百均で売ってるのでシールみたいなのを買ってくれば代替はできるだろうが、強すぎるので人体への影響がよいかどうかはわからん。脳の動きの基礎とされるのが神経組織の結合点でおこるイオン交換による電位差の伝達だが、それに直接影響を与えそうな気もするし、全体に同じ方向へかかるので全体としてはそれほど影響ないのかもしれない。よくわからん。ただ、今はその脳へのノイズ源がどこかにあり幻聴がそれを隠しているので、そのノイズ源をピップエレキバンの強力な磁力で抑えられるなら抑えたい、という気分で貼っている。とにかく実感としてはよくなっているのでわかりやすい害がなければ理屈はどうでもよい。

コンギョ

 あと残ってるのが環境音にまぎれて聞こえる機能性幻聴だが、こっちもコンギョを流しておくと、どういうわけかわからんがわりとすっきりするのがわかった。


www.youtube.com

 ネットでみると「コンギョはK-POP」とかいう声もありまぁそういうことにしといたらネタとしてはおもしろいが、それと同時に、聞いてると「ギザギザハートの子守唄」とかアニソンとかいろいろ思いだすのでまぁ北朝鮮で政治的目的のためにそのへんの曲を下敷にして適当にこしらえた一時的な曲どいうことかもしれん。日本の歌謡曲でも洋楽のカバーというかパクリというかそういうのはよくあるので実は他にも元ネタがあるのかもしれん。そういう日本の曲を知らない若い世代がハマるのもわからんでもない。

ja.wikipedia.org

 wikipedia をみると、関連項目として同様の北朝鮮の曲で「将軍様は縮地法を使われる」が韓国で、「私たちはあなたしか知らない」が中国でカルト的な人気があるとしているのだが、国民性が反映してると言いたくなるような、微妙に偏見のまじった選曲で、それ自体がかなり恣意的に選ばれた曲としか思えない。そもそもその「中国でカルト的な人気がある」曲で安倍晋三を称える曲を作ってtwitterとかでオモチャにしてたのは日本だろ。今となってはこれも統一教会がしこんでいたのかと疑ってしまう。本当に韓国で「縮地法」の曲が流行ってたのだろうか。まぁ聞いてみたらどっかで聞いたような、なんかコンギョが彷彿とさせる曲よりさらに古い1970年代くらいの曲を下敷にしたようなどっかで聞いたような感じの曲だったので北朝鮮がいろいろ作り飛ばしてる幅が広いために若い世代が知らない昔の曲みたいなのを選択してしまうのかもしれない。


www.youtube.com

 まぁそれはそれとして機能性幻聴に効くといってもこっちは効き方の理由がよくわからんが聞かせただけで効くならいやになるまでとことん聞いてみることにする。

大画面4Kテレビ

大画面4Kテレビ

 去年幻聴がまだまだ盛んだったころに、パソコンの画面を大画面にしたくなり、最近の液晶テレビは大画面なのにかなり安くなってるので買ったりしたが結局どれも失敗だったことを書いておく。

 結論から先に書いておくと、テレビの最低輝度はかなり高く設定してあるので近いところで凝視するパソコンのモニターとしてはあまりよくない。それから、ちょっと古い(2010年代半ばの)ノートパソコンのHDMI出力は4k30Hzどまりなのでそれがこれから書く「目が痛い」の原因の可能性が高い。なのであわててテレビを買うよりはパソコンを新調してからでも遅くはない。

 あと一番重要な点であるが、幻聴が聞こえている人なので皮膚の感覚も異常になっている事は類推できると思う。まぁあんまり詳しいことを書くとあれだが、幻覚の一種として「目が痛い」と訴えている可能性はある。

65インチTCL液晶テレビをみせてもらう

 事の起こりとしては知り合いのとこへ遊びにいったときに、65インチのTCLの液晶テレビを置いてディスプレイとして使っているのを見たこと。それまで彼が長年プロジェクタとかつかって投影したりといろいろ工夫しているのを見ていたのだが、液晶テレビの大画面化がすすんで入手可能な値段になったのでプロジェクタを追求するのはやめてきりかえたらしい。それくらい大きいと十分離れてみるので目も何も問題ない。なるほど、これはいいな....と思ったのがきっかけだった。最近頭角を現している中国のテレビメーカーとしてはハイセンスとTCLがあるが彼が検討した数年前の話だと、よりテレビよりなのがハイセンスで、TCLはなんかオタク向きな凝り方をしてるがそこがむしろパソコンのモニターとしてよいという。

置き場所の問題で比較的小型をめざすことに

 なるほどよいなと思ったのはいいが、さてうちに導入するとなると洋間ではないので適度な壁が少なく、置く場所がない。ならしかたないので近くでみるしかないか、ということで、より小型をさがすことになったのだがその時点で「大画面テレビだと十分距離を置いて目の疲れの問題がなくなる」という重要な点をみのがしていた。まぁ幻聴で余裕がなかったせいだとしておいてほしい。要は幻聴が聞こえ続けているとあんまり深く考えることができず、刹那的になるのだ。

ハイセンス 48インチ有機ELテレビ

 ところでKDPで電子書籍を売ってるくらいなので Amazon 様のヘビーユーザーなのだが、ボーっとみていると、ハイセンスの48インチ有機ELテレビが10万くらいで安売りしているのをみつけた。お、これは丁度いいというのでいきなりポチった。自分もアマゾンでこんな高額の買いものをするのははじめてなので緊張したが、幻聴で苦しめられているのでもう死んだような気になっててそこまで気にならない。(まぁそもそも10万弱するeInk端末を中国のサイトで買ってるのでそれくらいでビビるわけないんだな)

 と、届いたのをなんとか机の上に置いてみるともんのすごく大きい。そして映してみて気がついたのだが、見た瞬間に目が痛くなるのである。こんなにキレイなのにどうして.... その一方で48インチあると100%で表示していてもみやすい大きさになる。ただし48インチもあるので画面の端から端が1mあり一目ではみれないので首を頻繁に左右に振ることになって近くで見るのには向いていない。ハイセンスはそのシリーズを最後に有機ELテレビをやめて液晶に一本化していたのだが、やっぱり有機ELテレビなんかあるのかな...?

有機ELにはいい印象があったが

 有機ELというと YotaPhone2 のカラー面が有機ELだったのだが、そのとき気付いたのが、液晶と有機ELでは目の使い方がすこし違うということで、有機ELの方が紙とかそのへんをみるときの、つまり自然に物をみる状態に近い目の筋肉の使い方をしている。ということで、実は有機ELへの印象は非常によく、これを買う前にもイオシスで安売りしていた GalaxyTab S5e など買って、電子ペーパー端末をさしおいて使いまくっていたので、それから身のまわりの液晶画面を有機ELに置きかえていこうと思っていたところなのだ。ところが大型テレビの有機ELはLGがつくってる白色有機ELにカラーフィルターを置く方式で、つまり小型端末の Samsung有機ELとは別物である。よくよく考えてみれば、有機ELだから黒の表現は強いかもしれないが、カラーフィルターを置いているので画面の表面には微妙な視差が発生している。つまり目の筋肉の使い方は液晶と変わらんのでは...?ということだ。

 とにかく見た瞬間に目が痛くなってそれがずっと続くのでは話にならん。ではテレビとしてはどうか。もともとダメなら居間のテレビにしようと思っていたのだが、こっちでも親も目が痛くなるというのでしかたなく返品した。返品ははじめての経験でビビったが簡単にできてこっちもびっくりした。まぁしかしやりかたがひどいと半額とられるらしい。ネットでみると有機ELテレビにそういう不満はみたことがないので、まぁハズレ端末だった可能性もある。

ソニー KJ-43X80WK

 さて今度は日本企業なら鉄板だろうと思って、ソニーの43インチの液晶テレビ新型テレビの売り出しセールで安売りしてたのですこし高くなったが買ってみた。見てすぐは痛くならないので安心して設定など進めてみるとそのUIの洗練ぶりにびっくりする。ほぼ繋げるだけで設定が完了してしまうのだ。音響のよさにもびっくりした。こんな底にある小さいスピーカーでこんなにいい音がでるのか.... 最新技術をみなおした。

 しかし目は非情である。ちょっと見てるだけで目が痛くなってくる。それでも我慢してみていたら一日したら視力が落ちてしまう。うーむむ。なぜ? ということでいろいろ設定を追求してみたが正解がない。いろいろやったあげくもう返品でいいかとおもいながら、とりあえず居間に置いてみた。しかしこっちでも不評である。居間にあるのは2008年頃に買ったシャープの32インチ液晶アクオス「亀山モデル」である。比較になってしまうのだが、当然きれいかといえばそうではなく、地上波の画素数は低いのだが、それを4kテレビでみるともんすごくきたなくなる。横にアクオスがあるだけになぜこんなにきたないのかとおもうくらい汚くなる。どうもテレビの電波の品質自体がそんなに高くないので、テレビではそれを補完する技術が発達しており、昔のテレビはそれに最適化していてきれいにみえる。ところが4kテレビは4k動画をきれいに映す技術はあるものの、品質のおちる地上波テレビの画面をそれなりにみせる技術がどうもまだ確立していないようなのだ。たとえば youtube の 4k動画で提供されてる 映画のトレイラーとかだとものすごくきれいに映る。ソニーはそこにすごく凝っててそういうのはよくうつる。ただ画質のおとる地上波テレビだと画質が落ちたのをそのまま増幅してしまうので、たとえば葉っぱがあるところとかフォントではいってるあたりのモヤモヤとかもともとの画面にふくまれるデジタルノイズを増幅してしまうらしい。凝った画像をリアルにみせる技術を追求した結果かもしれん。うーむむ。4kBSも受信してないうちには4kテレビは無用の長物だな... という結果になった。しょうがないのでこっちも目が痛くなるというのを理由に返品した。

4k30Hz出力の罠

 ということで、調べまくってみると、どうも4k30Hzの壁があるらしい。昔のブラウン管テレビは30Hzで送信されていたがそれをインターレースといってひとつ飛ばしで二回にわけて画面の走査線を走らせることでちらつきを抑えていた。つまり実質60Hzで表示していた。HDMIの規格をつくったときにテレビは30Hzで送信してるから30Hzでいいだろとした。その後、HDMIの規格のアップデートがなされて60Hz以上で表示できるようになったのだが、2010年代中頃くらいのノートパソコンのHDMI出力はライセンス価格を抑えるために上限4k30Hzになっている。パソコンの出力のためのディスプレイポート規格がありそっちだと問題ないのだが、映像業界の都合でパソコンの液晶が16:9になったのと同じように、HDMIポートもついでに設置することになり、ついでなので最低限の規格にしか対応してないというわけだ。ううーむ。これはまいった。

EIZO EV3285

 さて二回も返品したので、意地になり、さらに鉄板と思われる EIZO の EV3285 を買った。32インチ。今でも使っている。たしかにソニーのテレビよりはよい。一日くらいでは視力が落ちない。 まぁこれでダメなら何買ってもダメだろ。。。ということだが、やっぱり目への負担はある。ソニーのテレビもそこまで言うほどの差はなかったのかも、というくらいな感じがしてきた。しかしこれは一番値段が落ちてたときに買えたとはいえ13万もする。もうこれでダメなら何買ってもダメだろ...ということで、もう幻聴なんか聞こえてるんだから金なんか残してもしかたあるまいということでノートパソコンも新調して4k60Hz対応させた。さて結果としてどうだったか... というとそのノートパソコンが DELL の Inspiron 16 7620 2-in-1 の4kOLEDというやつで、これも一番値引きしてるときに買えたのだが、有機ELで16インチありなおかつ16:10で広いので下手な液晶みるよりはそれみてた方がいいくらいのものなので、ノートパソコン自体にそれほど不満がなくなってしまい、EV3285はもったいからときどき使うというありさまになってしまった。とはいいながら結構つかってるが、なんかもったいないな

4kテレビで地上波をみる事について

 さて2022年の夏モデルのころは上記のような結果に終わったので、それから家電量販店にいって4kテレビで地上波をみくらべているが、そのころはやっぱり地上波の表現は4kテレビは苦手だったようで、どれみてもそれなりに汚なかった。地上波を察知したら平べったい白い映像にしてしまえばいいだけだと思うんだがそうはいかないということだろうか。もっとも中国メーカーとかでもそこまで差はなかったので、映像変換エンジンの手が必要なのかもしれない。シャープのN-Blackシリーズはなんかいいので次はそれのなるべく映像変換エンジンの新しいのを選んで買うかもしれない。有機ELテレビは次世代以降に期待なので生きてる間に拝めるかどうかわからん。まぁでもネットでは買わずに家電量販店で実物見くらべて買うと思う。やっぱり海外生産がメインになってるパネルは実物をみないと怖い。

平岡龍城 続報 (国会図書館デジタルコレクション全文検索の範囲拡大記念)

平岡龍城 続報 (国会図書館デジタルコレクション全文検索の範囲拡大記念)

 国会図書館デジタルコレクションでOCRを使った全文検索の範囲がグンと拡大したので、今までよりも検索だけでわかることが増えた。ということで謎の人物平岡龍城についてもすこし知識が増えたのでそのことを書いておく。

ブログに書く事について

 さてその前に一つ確認しておく。数年前にいろいろ平岡龍城のことを調べて書いておいた。それについて、wikipediaの方でこういう言及がなされた。

ja.wikipedia.org

 平岡龍城についてwikipediaに項目を立ててくれという依頼への山田晴通の返答だが、このブログなどを例にあげながら、そこに書いといた出典の文献を「身近にはありません」とつきはなした上で、

いずれにせよ、これらの個人ブログ等は、そのままでは記述の典拠にはできませんので、相当の文献的裏付けが求められる主題です。--山田晴通(会話) 2018年9月22日 (土) 20:26 (UTC)

 と「個人ブログは記事の典拠にできない」と書いている。まぁそういうことだろう。このブログは何の典拠にもならない便所の落書きである。 したがって好きに利用すればよい。

最近の研究

 ところで、平岡龍城についての最近の研究だがこういうのがある。

cir.nii.ac.jp

 これは平岡龍城の紅楼夢の訳文を「添義訳文」として再評価するもの。平岡龍城の翻訳についてはいろいろ議論のあるところで、自分もここで、 inudaisho.hatenablog.com

紅楼夢研究者で国訳紅楼夢を詳細にしらべた森中美樹によれば、平岡龍城の国訳紅楼夢は名訳という評判であるが実のところ文語調と口語調のバランスがとれてない悪文で一に平岡龍城の日本語に問題があったという。まぁ大正というのは現代につながる日本語口語調の文章が成立する時代なので明治人であるとおもわれる平岡龍城がそういう文章を書けない人だったというだけの話だが、口語の意味を見事にたくみに写しとっていても全体として文章のバランスがとれていないのは読み物として問題のあるところで、そこまでの人ということだったんだろう。

 とひどい事を書いているが、専門家が辞書みたいに読むものとしてはものすごくよいものでも、読み物としては問題があるのは今でも間違いないと思っている。まぁそこへ新しい視点を持ってきて評価するのはよい試みではあろう。ところでその彼が今までの平岡龍城についての推測に対抗して「自説」として提出したものがある。それが没年だが、かなり曖昧に書いている。

晩年まで中国語に熱意を持ち、先生でもあったらしく、一九五二年までには亡くなっているものの、七〇歳過ぎまで生きた事がわかる。『日華大辞典』編纂年からして、卒年を一九四〇年代と仮定すると、明治初年頃に生まれたのであろう。

 郡司氏は魚返善雄の回想をみつけたために、どうも平岡龍城の没年の推定をかなり下げて想定しているらしい。そこは注5にこう書いていることからわかる。

(5)奥野信太郎は『龍城旧蔵の紅楼夢』を戦後間もなく入手したが、龍城の孫娘は、龍城の姪が引き取った旧蔵書を姪が生活に困って手放したという(『中国随筆集』一九九八、慶應義塾大学出版会)。よって森中は龍城が終戦前に亡くなったとする(森中 二〇〇八:一五六頁)が、本稿の通り自説を呈した。

 終戦前に亡くなったとする森中説について、わざわざ「が、」と逆接でつないでいるのだから、戦後死亡説ということだろう。彼の書いた平岡龍城の身の上のことについては論文では脇道の話だし、すこし調べたらわかる程度の事なので、このブログみて参考にしただろうとか言うつもりはない。ただしわざわざ没年についての自説を展開しているのでそこはもうすこし調べてから書いた方がよかったと思う。

範囲拡大でわかったこと

没年月日

 さて、自分ももうすこし調べておこうとおもってネットにはっきり書いてなかった平岡龍城ネタがある。要はネットで検索したり、論文をみたりしてもわからない事の中に、紙をめくって調べてわかったことがあるということだ。さてブログは「記述の典拠にはできません」と嬲られるように書かれているのでもうこういうところにも書くつもりはない。

 国会図書館デジタルコレクション全文検索できる範囲拡大で昔の事が調べやすくなったのは確かだが、自分がみつけた事はそれでも簡単にはみつからないようだ。しかし「平岡龍城」で検索するだけでもまた新しいエピソードをみつけれるので、この方面でも進展はあるだろう。

 ところで、自分がわかってる事で検索すると当然ながら検索の範囲が広がるのでもうすこしわかることがある。その一つが没年月日だ。太平洋戦争開戦前に死んでいることがわかった。そういうことで森中説が当たりということになり、逆を張ってみた郡司説は明確に否定されることになる。まぁしかしこのブログは典拠にならないらしいので、調べて新説として発表したらいいとおもう。

平岡龍城の所属

 あと他にもある所属がわかってなかなか興味深い。ただ依然として平岡龍城が何をしていた人なのか、という重要な点についてはよくわからない。ただ、上に引用しておいたこのブログの記事で

うーむむ。日華大辞典の賛助者や関連情報をみているとやはり玄洋社黒龍会人脈とズブズブなのではないかという気がしてくるのでそっち方面も掘っていけばなにかわかるかもしれん。

 というような見込を書いておいたけど、それとは違うわりと重要なつながりをみつけた。ただこの方面はなんというか、「新しい陰謀論」を生みそうな分野なので要注意な分野でもある。実はそのつながりを持つ人は今でもいっぱいいるので、情報も目grepを駆使すればみつかると思うのでそういう人がやればいいと思う。

押しかける平岡龍城

 全文検索でわかったエピソードとして、学習院に新しく赴任した校長のところへおしかけて『標注訓訳水滸伝』を売りつけたというのがあるのだが、それも前後脈絡なくいきなり登場してその後でてこない。しかしだからこそ「平岡龍城」と書かれており検索でひっかかった。こういう謎の大物ムーブを繰りだすので余計によくわからないのだが、それも上で書いた「つながり」を利用すればある程度は解明できることだと思う。

雑談の平岡龍城

 あとは.. ある作家のあつまりのところへやってきて話の輪に入って話題を提供してたりする話があったので、まぁ魚返善雄の目からみると寂しいものかもしれないが、年寄は年寄でそれなりにたのしくやってたのかもしれん。

大阪万博公式キャラクターのミャクミャクは韓国語の맥の意味に近いから맥맥が妥当

大阪万博公式キャラクター ミャクミャク

 大阪万博公式キャラクターのミャクミャク、発表当時から気持ち悪いという声があがっていたが、別段変えることもなくそのまま使われている。万博の公式キャラクターとかどうでもいいことだが、なんかビジュアル的にも異形だし「ミャクミャク」というのもなんか聞きなれない。ということで一応調べたのだが、幻聴でここにログインもしてなかったのでtwitterに書き流しただけになった。ということであらためてまとめておく。

大阪万博の公式での説明

 公式の説明はここにある。

www.expo2025.or.jp

「ミャクミャク」について 細胞と水がひとつになったことで生まれた、ふしぎな生き物。その正体は不明。 赤い部分は「細胞」で、分かれたり、増えたりする。 青い部分は「清い水」で、流れる様に形を変えることができる。 なりたい自分を探して、いろんな形に姿を変えているようで、人間をまねた姿が、今の姿。 但し、姿を変えすぎて、元の形を忘れてしまうことがある。 外に出て、太陽の光をあびることが元気の源。雨の日も大好きで、雨を体に取り込むことが出来る。

 また、公式キャラクターの愛称を応募した人のコンセプトも公開されている。二人いるがまず一人目。

今まで「脈々」と受け継がれてきた私たち人間のDNA、知恵と技術、歴史や文化。変幻自在なキャラクターは更にあらゆる可能性をその身に宿して、私たち人間の素晴らしさをこれからも「脈々」と未来に受け継いで>いってくれるはず。 そんな希望を込めて「脈々=ミャクミャク」と名付けました。 またミャク=脈であり、生命そのもの。 ミャクミャクという2音が続く様は、命が続いている音にも聞こえます。

 もう一人はこう。

初めてキャラクターを見たとき、赤色と青色が動脈と静脈を連想させたため。また、万博のテーマである、人類文明のつながりや、国際的なつながりを、「脈」という言葉で表せられると思ったため。

 明示されているように「脈々」と「脈」が由来らしい。あと生命の元気さをイメージするものらしい。

中国語・日本語の文脈では?

 ところで「脈々」の中国語と日本語の文脈を確認しよう。

中国語

 まず中国語は定番の漢語大詞典。ちょっと古典寄りになるが。

  • 1.同“眽眽”。凝視貌。(眽眽と同じでじっと凝視すること)
  • 2.形容藏在內心的思想感情,有默默地用眼睛表達情意的意思。(心の中にある思いが黙っているうちにも目で伝わること)
  • 3.猶默默。(黙々)
  • 4.連綿不斷貌。(綿々と続いていること)

 ということで、あんまり元気な感じはない。まぁ2番目は万博のイメージにすこしかすってはいるが、しかしど真ん中ではない。

 次は中国語の口語を主にのせる小学館の中日辞典だと?

-脉脉 〈書〉ものを言わずに目またはそぶりで意思を伝えるさま

 ということで、漢語大詞典の2の意味になるが、それでも書面語で口語ではないらしい。

では「脈」だけでは?

 「脈」だけだとこうなる。

  • 1 血管。
  • 2 脈搏,脈息。(脈拍)
  • 3.按脈診病。(医者が脈をとって診断すること)
  • 4.指地下水。(地下水をさす)
  • 5.指事物如血管連貫有條理者。(血管のように連綿とつながって筋のある物や事)
  • 6.血統、宗派等相承的系統。(血統や宗派などの継承関係)
  • 7.植物葉子、昆蟲翅膀上像血管的組織。如:葉脈。

 ということで、これもあんまり元気な感じはしない。医者が脈で診断するのでむしろ病気のときに調べるものという感じになる。むしろ冷静にものをかんがえてる感じがあるので血脈とか文脈とかの派生語ができるんだろう。脈動や脈拍だと元気な感じになるがまぁ動や拍と動詞がついてるので「脈」だけだとそこまで動かないのが普通ということになる。

日本語

 日本語だがこちらも定番の日本国語大辞典を引いてみよう。

  • 1 長く続いて途絶えないさま。また、絶えず力強く感じられるさま。
  • 2 互いにじっと見つめるさま。また、心に情を含みながら動作には表わさないさまをいう。

 というわけで、漢語大詞典の4および2のことになる。日国の2の例文は中国の古典の古詩十九首なので、まぁ漢文文脈が効くところ、ということになり現代文ではあんまり使われないともいえるか。たとえば広辞苑で引いても「長く続いて途絶えないさま。また、絶えず力強く感じられるさま。「脈々と続く伝統」」ということになる。ただし力強いという文脈が付与されてるあたりは「脈」がすこしは反映されているかもしれない。

 ミャクミャクが元気を象徴するものなのに、「元気いっぱいミャクミャク君!」 という方向に行かず「ミャクミャク様」の方へ行ってしまうのはまぁ見た目も悪性新生物っぽい異形さがあるからだろうが、そもそも「脈々」だけ切りだしてきたときに元気さを想像しないからだろう。

 さて、ここまで見たとおり、「脈々」の本家中国でも日本でも元気な文脈は派生的な意味ではなくはないが、少なくとも正面的ではない。では、最初に答を書いた韓国語ではどうだろう。

韓国語ではどうか

 さて韓国語だが、こちらは天理大学朝鮮学科研究室編『現代朝鮮語辞典』1967をひくとなかなかおもしろい。とりあえず「脈」だがこれは「맥」と表記し、脈の中でも「文脈」の意味のような例文がのっている。おもしろいのは漢字が裏付けにない、朝鮮語本来の言葉としての「맥」があることで、これが「元気」と提示される。他に맥を使った言葉として

  • 맥없다 1 元気がない 2 なんにも理由がない
  • 맥없이 1 元気なく 2 理由もなく

 というのがある。ということで韓国語の文脈では「脈」は理由とか筋とかに限定されて、それと同音の맥が「元気」を意味する、と『現代朝鮮語辞典』1967は解釈しているようだ。既に上でみたように漢語本来の意味では「脈」だけで元気を意味することはあまりなく、そこから「元気」の意味をみるのが漢語的でないと判断したのだろう。ちなみにKorean-English Dictionary 1975 ではどうかとみてみたが、こっちはそのへんあんまり切りわけすらしてなくて맥の方は漢字の意味が列挙してあり、そこから派生した「元気がない」みたいな句とは別々に書いてるので参考にならなかった。ただし英語で脈の第一義に pulse,pulsation とか書いている。つまり、漢語文脈では脈自体(vein)が第一義になるが、Korean-English Dictionaryの英語による訳語では動き(pulse)の方が第一義になるということ。そこから「元気」につながるのはむしろ自然かもしれない。ということで韓国語の맥は脈から派生した「元気」ということにしておこう。

ということで맥맥

 あらためてミャクミャクをみると、赤が細胞、青が清い水と書いてありそんな風な造形とみえなくもないが、赤と青の二色で脈といわれると動脈と静脈を連想してしまう。となるとミャクミャクというよりは血液がドクドクという感じになるが、韓国語の맥は脈から派生した元気なのでこれも「ドクドク」に近い。ミャクミャクの意味を繋がりとかにもっていかず、なにかと生命とか元気に振ってしまうところをみると、ミャクミャクは맥맥ということにした方がわかりやすい。あの悪性新生物っぽい造形もまぁ外国だと思えばそんなもんかもしれん。

人間をまねた姿?

 ただそういうことになると

なりたい自分を探して、いろんな形に姿を変えているようで、人間をまねた姿が、今の姿。 但し、姿を変えすぎて、元の形を忘れてしまうことがある。

 というのはなかなか意味深だな。

2023年、まだ死んでないです。幻聴対策

まだ死んでない

 さてそのうち死にそうとかなんとか書いてましたが、結局幻聴は完全にはなおらないまま、別に死にもせず今にいたってます。うーむ。

 このはてなブログを更新しなくなったのはログインできなくなった上で、幻聴でつつぬけなのでパスワードとか探すのがいやで放置してたのだがまぁそれが結果的にここに妄言を書きちらさなくなってよかった。同じことを延々と書きつづける狂気のブログになるところだった。狂気の記録であっても情報密度は高めにしておきたい。

幻聴に付随する身体症状に効いたもの

 実のところ幻聴そのものよりも、幻聴に付随して体の内部がなんか炎症を起こしてるような感覚があって、それがある意味「憑依」されてる部分があるような感じがあるのがいやだったのだが、いろいろやった中でこれは効いたというのを紹介しよう。どういう事態がおこっているのか何かの手掛かりになると思う

低音たれながし

 右耳に耳鳴りともいいがたい、なにかよくわからない低音のうなりがあって、特定の場所に行くとうなったり、ぽんぽんと反応したりする。ちょっと説明しづらいがそれがなにか身体への影響を及ぼしていると考え、ためしにスマホのアプリでいろんな周波数をながしてみると、200-280Hzくらいの音を流すとその右耳の音が消える。最初それに気付いたときは200Hzだったがそれを一日中流すと劇的に体が楽になった。まぁそれが「体のっとられそう」感覚からの脱出になった。ところがそれだと水平線をたどるだけなので、いろいろ音をかえてみてそのうち277.75Hzを採用するようにした。これはその倍音が1111Hzとかでゾロ目になるので、気違い宗教がからんでるとしたらそういうところにこだわりそうだから、というだけ。今は定常音だと耳によくない気がして強弱つけて振動させてる。効かないギリギリにしとくと右耳のうなりがでたり消えたりするのでおもしろい。

 これをやりつづけたおかげかどうかはわからんが幻聴自体は段階的に小さくなっている。ただ音量の変化に鈍感な耳の性質からいってなかなか消えないのではないかとも思う。陽はかなりかすかになってもまだ聞こえてるのである。

寝ながら頭とかかとでつっぱる

 最近みつけたのだが、これがその体感に非常によく効くのでよい。寝ながら頭とかかとでつっぱり、足から腰、腹から背中、肩から首への筋をのばすようにする。なんだただ伸ばすだけか、という感じだが、実はうちの老母がいつのまにか背中がぐにゃぐにゃにまがったり、ひざがまがったりしていたのでなんかおかしいとは思っていたが、自分も寝てる間に背中がへんになったり腹に力が入らなくなったりするのでたぶん寝ている間に変な力を体にかけて長期間かけて体をねじまげていく謎の技法だと思いこんでいる。そのゆがみを正してのばすもので、かなり気持ちよくなる。頭とかかとでつっぱって㞍は浮くか浮かないか程度に留めておく。その運動をやると「気をあげる」ような感じになってよい。