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君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

歴史の道調査報告書

 道というのは特に商業にとっては非常に重要なもので、商店の配置、ひいては町の構造などは道の従属変数である面が高い。駅前商店街の衰退も、交通手段が鉄道から自動車に交替したために、そこにあった賑いが郊外の大型商業施設や駐車場のあるチェーン店などに移っただけだ。

 歴史のある町だと町の中の交通のメインルートの移動の痕跡がそのままそれぞれの町並みで保存されているようなところがある。中世の街道沿いに発達した町場が今は小さな集落として残っていることもある。記念碑・記念物はたいがい人目につくところ・道からそれほど遠くないところに建てるので古い道を歩くとそういうものを見ることができる。会津に大内宿というところがあるが、あれなどは鉄道の発達によって峠道が完全に放棄されてしまい交通のメインルートから僻地へ劇的に変化したためにそこから大きく変化しなくなり、古い構造が保存されたので昭和の観光ブームの時、かやぶきに戻すだけで宿場町の雰囲気を出すことができた。

 そういった昔の道を探るときに役立つのが『歴史の道調査報告書』だ。各地の教育委員会などによって「歴史の道」の調査がおこなわれた記録だ。昭和50年代からはじまったが、茨城県のように平成も20年代になってからやっているところもある。全国で実施していないのは5道府県。北海道・神奈川県・京都府広島県佐賀県だ。2000年代に海路書院というところが近畿と関東の分を集めた『歴史の道調査報告書集成』という便利なものをつくっているが2010年から何も出版していない様子なのはもう事業を継続していないということだろうか。行政で作った貴重な資料なのだから発掘調査報告書のようにPDFで公開してほしいものだが。

 ところでこの事業は昭和53年(1978)に奥の細道(宮城県)・中山道(岐阜県)・熊野参詣道(和歌山県)からはじまったらしい。今いるあたりでは熊野古道の観光に力をいれている。この熊野古道というのは商業ルートではなく巡礼道だ。院政時代、京の貴族による熊野参りが盛んに行なわれたということがこの観光施設などでも案内されているのだが、熊野参りへの一般的なルートとして紀伊路伊勢路がある。京から行くから紀伊路を取るんだという風に説明されてはいるが、実際のところは、紀伊路の方がよりキツいかららしい。伊勢路もそれなりにキツいところはあるのだが、こっちは船で伊勢から直接新宮なり那智に乗りつけるというチートができる。新宮本宮間も船で往復できる。それをせずわざわざキツいところを通るのはそれこそ巡礼だからということのようだ。

 古道だからと持ち上げても宗教の道だから、どうしても宗教色が強くなってしまう。それがよいとかわるいとかいう話ではなく、そういう風にがんばっても、結局怪しい新興宗教がそういう土壌から育っておいしいところを持っていくんだろうなとどうでもいい感想を書きました。

参考資料: