人民の天才 野呂栄太郎
羽仁五郎が終戦後、日本共産党による革命の機運が高まったと思っていた時期、活動のためにいろいろ書いた文章の中に「人民の天才 野呂栄太郎」というのがある。野呂栄太郎は戦前の日本共産党(非合法)の理論的指導者の一人と目され、委員長をしていたときにつかまり、拷問をうけて病状を悪化させて死んだ人だ。殉教者というわけで、以下のように美化している。
余輩の聞くところにて、人民の權義を主張し、正理を唱て政府に迫り、其命を棄てて終をよくし世界中に對して恥ることなかるべき者は、古來唯一名の佐倉宗五郎あるのみ佐倉宗五郎一人の名は知られて居る。
(略)
數百千のわが人民の天才英雄は、その名も知られて居ないのである。
(略)
それらのわが日本人民の革命的天才のなかに、その最大の一人、野呂榮太郎が立つて居る。
羽仁五郎「人民の天才 野呂榮太郎」『青年にうつたう』日本民主主義文化連盟、1947(昭和22) 初出は雑誌で1946年(昭和21)中
江戸時代の義民として有名な佐倉宗五郎をまず出し、それを「人民」の闘争の系譜にして、そのつながりのなかに野呂栄太郎を立てるというやりかたで、まぁ共産党的ではある。
日本共産党の慶應閥
羽仁五郎がこのように野呂を「人民の天才」とまで持ちあげるのは、理論的指導者でかつ殉教したからという日本共産党の教史の上で美化しやすい位置にいたというのもあるが、その他に野呂が慶應出身であったこと、そして日本共産党の有力者野坂参三も慶應出身で野呂は後輩だったからというのもあるようだ。文中では後輩というより弟というふうにその関係を強調している。野呂を美化しもちあげることで野坂参三の立場を強くするというところだろうか。同じ文章の中で野坂参三を「救国の指導者」とも賛美している。
革命の列に加えられた福沢諭吉
日本にとつては、福澤諭吉は日本の民主主義革命の先驅者であり、野呂榮太郎はその後の日本の民主主義革命の最も苦難の時代における輝ける指導者である。
(略)
明治維新期に開始された日本の民主主義革命は完成していないように、慶應義塾の使命は未だ完結していないのである。その故にこそ福澤諭吉の創立した慶應義塾がその後、野呂榮太郎を生み、野坂參三を生んでいるのである。
(略)
明治維新の偉業を明らかにし、明治維新において不徹底に終つた日本の民主主義革命が現代において完成せらるべき條件を明かにしたことが、野呂榮太郎の不朽の業績である。
つまり昭和20年代の一時期には、「革命の先駆者」福沢諭吉 → 「人民の天才」野呂栄太郎 → 「救国の指導者」野坂参三と、慶応閥による共産党の英雄の系列が作られていたというわけだ。
まとめ
特に日本共産党に興味もないし慶應がどうであろうが知ったことでもないのだが、野坂参三は90年代にソ連のスパイであった事実が暴露されるまでは日本共産党内で重きをなしていたわけだから、党内の闘争での浮沈はあれど、戦前に死んだ野呂栄太郎の評価などは長く変わってなかったのではなかろうか。慶應といえば金持ちの集まる大学で竹中小泉なんかを生み出したところで助成金をジャブジャブ受けとっており、平成の堕落腐敗を象徴するようなところだと考えていて、
慶應 is 邪悪
と観念しているのだが、その観念を強化されるような心温まる内輪エピソードだった。8月末から9月上旬くらいにかけて東京に行ったときにたまたま目にしておもしろくて書いたものなので特にオチもなく終わる。
(どうでもいいことだが野坂参三がソ連のスパイだというので90年代に処分されたのだが、その事実があったころ(つまり戦争中)の日本共産党は所詮はコミンテルンの日本支部なわけだから、支部の人間が支部の問題について上級組織関係の秘密警察に告げ口したというだけの話で、事の当否は別にして、組織的には問題ない話では。)
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