山国神社で江戸初期の世界地図発見?
今年2019年の二月、山国神社で世界地図が発見されたという記事がでた。
この記事よくよく読むと、
この地図は昭和はじめに東大史料編纂所が存在を確認したが、1990年に別の研究者が神社に照会したところ、見当たらないとの回答を得たため、これまで所在不明とされてきた。
とのことなので、新たに出てきたわけではなく90年代には見当らなくなっていたらしい。それを昨年になって東大史料編纂所の研究グループの一員の人が確認したということらしい。では昨年2018年再発見されたものだろうか。
10年くらい前の山国神社文書調査
実は10年くらい前の中央大学の山国神社の文書調査で既に存在が確認されていたものである。『平成17年度~平成19年度科学研究費補助金研究成果報告書 (課題番号17520449) 中世後期~近世における宮座と同族に関する研究 主に丹波国山国荘地域を例に』という冊子にその科研費をつかってやった調査の報告がある。この報告書の中身のほとんどはエクセルでつくった文書目録で、おまけで吉岡拓の浅薄なレポートがついている。その山国神社の目録の中にこう書いてある。
ここからわかるように、中央大学の連中はこれが東大史料編纂所が把握できなくなっていたものだということがわかっていない。なんか地図があるから記録しといたというだけである。
みつからなかった件だが、どうも昭和初期には軸装してあったのがなぜか軸から外されていたのでわからなかったということらしい。
「新発見」の明の地図
それから「新発見」という中国の地図の項目はこれ。
ということで、これもごく最近みつかったのではなく、10年前には所在が確認されていて中央大学作成の目録に載っていたのである。この目録が出たのは2008年。それから10年何をしていたのだろうか。
値打ちを認めたのは東大史料編纂所のチーム
目録の中にあった地図に値打ちをみとめたのは東大史料編纂所を中心とした科研費「画像解析と歴史・地理情報の高度活用に基づく荘園絵図の総合的研究」のグループだ。
つまり彼ら絵図を専門に集めた研究者によって値打ちが認められたということである。京都新聞の記事もよくよくみるとこう書いてある。
山国地域に残る古文書を20年以上調査している中央大の坂田聡教授(中世史)らの調査団が見つけ、東京大史料編纂(へんさん)所の共同研究グループが確認した。
坂田聡らは見付けたわけではなく単に記録しただけで、その後10年くらい放置していただけだ。だからこの記事では坂田聡は無視してもよいくらいなのだが、なんでここで坂田聡が出てくるのか? おかしいよなー。
例の樺山聡記者の「勤王の村」記事も同時期
そう、実は前にネタにした樺山聡記者の「勤王の村」記事も同時期なのである。
集中してこのような特集を組み、あわせて新発見とされる記事をのせるのだから、よほど坂田聡に肩入れしたい連中が京都新聞にいるということだろう。本来ならその東大史料編纂所のチームのことを取りあげるべきなのに何もしてない坂田聡の記事を組む。おかしいよなー。
- 作者: 東京大学史料編纂所
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 1988/08
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