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無名人の業績は盗まれる ~西尾正仁の由緒書研究と『禁裏領山国荘』~

(20190804 竹田聴洲著作集を借りてきたらいいネタみつけたので追記した)

兵庫県立教育大学修士 西尾正仁

 さて、最近調べていることの近傍を押さえている先行研究として重要な西尾正仁「近世村落成立期における家伝承の研究ー丹波国桑田郡山国郷の事例ー」(修士論文)1996 を読みに兵庫県立教育大学まで行ってきた。西尾氏は1956年生まれの高校の教員だが中途で兵庫県立教育大学の院に入り、その修士論文として1996年これを書いたということだ。西尾氏は坂田聡編『禁裏領山国荘』2009でも似たような内容の文章を寄せているのだが、要約版で、奥歯にモノがはさまったような具合でよくわかったようなわからないような具合になっている。他にも西尾氏のこれに関する論文はあるのだが、その最新版も教育大学の河村昭一の退官記念論文集(2013)に載っていて、これまた京都周辺では所蔵が少ない。ということで無職の強み、足の軽さを利用して両方押さえに行ったのだ。

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兵庫県立教育大学の図書館

 ただし、修論の方は複製不可ということなので図書館で読んで要約を作ってきた。

西尾論文の重要さ

 この論文だが、正直言って、作られた由緒が現実の歴史に介入することのある近世の山国の歴史をみる上で非常に重要な論文だった。しかも核心部分は非常に明晰で、最近どうでもいい文章ばかり読んでたので新鮮に感じた。ちょっと感動したのでその核心部分を紹介しよう。

正治二年私領田畑并官位次第」の不審点

 「正治二年私領田畑并官位次第」というものが『丹波国山国荘史料』1958に紹介されている。この官位次第は三十六名八十八家の官位が正治2年(1200年)に定められたというもので、江戸時代後期の山国では名主家リストの根本史料のように扱われていたものだが、明らかに作為的に作られたものなので、それがいつ作られたのかというのが一つの焦点になっていた。

 ところで同名資料は山国にもあるのだが、活字化されたものは山国の隣の黒田の家に残されていたものである。この黒田地域は歴史的に山国荘の一部だったとされているのだが、奥の方なので別に扱われがちな地域でもあり、本郷・枝郷みたいな扱われ方をすることもあった。明治の町村制施行のときにはそれぞれ山国村・黒田村と別になっている。ところがこの活字化された官位次第の後にある文章にはいわゆる本郷の山国を「下山国八ヶ村」黒田のことを「本郷山国三ヶ村黒田」のように表現してあり、当時の文脈としてはおかしい。

 ここまでは普通の人でも目につくところだが、西尾氏の素晴しいところは、その文章に出現する事柄をきちんと一々検討し、山国の政治史にからめてこの文書成立についての仮説をうちたてたところだ。特に素晴しいのは官位次第とその後に続く由緒書の内容に齟齬があることから、別物とみたところである。そしてその由緒書部分には山国の論理で作られた部分があることから、「官位次第」のあと「原由緒書」が山国でつくられて黒田で手が加えられたと三段階に分けた。そして山国での由緒書形成を家の形成とからめて三期に分けて説明を試みる。

「伊佐波山宛行状」

 さて、まずはクドクドと説明することは避けて、どこに感銘を受けたのかド速球で紹介しよう。まるごと引用する。手で書写したのをここにタイプするので、どっかに書写間違いがあるかもしれないが、情報が詰めこまれているのによくわかるその明晰さを味わってほしい。

 十七世紀半ば、惣庄山の分割を契機に、名主家は、本来用木貢納の反対給付として与えられていた惣山の用益権を遠く平安宮造営に結びつけた「五三寸三尋木」の由緒を語ることで、維持し続けようとして、二度にわたって「改記」を作成した。その作業の中で、近世村落の胎動が始まった時期から蓄積され続けた様々な伝承や偽文書類が集大成されて原由緒書として結実したのである。

 そして、それは枝郷たる黒田村において、自村の立場で書き換えられ、天正十四年に前田玄以に提出する形式に工作された。そのことは、第一章第二節で指摘したように沙汰人四人の連署が黒田宮の春日神社に残る嘉慶元年(一三八七)十二月二十三日付「伊佐波山宛行状」の沙汰人連署を真似ていることから明らかである。

 いや、いきなりここを出しても背景を説明してないのでよくわからないかもしれない。軽く紹介すると、戦国時代には荘園の単位である名が名前だけのものとなり名主の地位が不安定になって地位の安定を目指す動きが山国に限らずあった(例えば紀伊加太で名主の「永定」がおこなわれた)。その反映として「官位次第」つまり名主リストが作られたとみる。これを「家伝承萌芽期」として西尾1996では幅を取って15世紀半ばから16世紀半ばくらい(つまりいわゆる戦国時代)であろうとする。(西尾2013では16世紀半ばとみる)。

 次に「家伝承成長期」として各種由緒が作られたとみる。たとえば「官位次第」の三十六名八十八家であったり、「七十二姓の郷中名主と比果・窪田の郷士両家」であったり、いろんな天皇の綸旨を受けた、と主張したりすることだ。そしてそれらが総合されたのが「家伝承結実期」で、これを17世紀半ば(江戸時代初期)までとする。17世紀半ばまでに山国荘が持っていた奥山が各村に分割されたのだが、その際名主層が保持していた利用権を維持するための理由として「五三寸三尋木」が語られたということで引用のところに来る。

 これが本当にすごいのは、黒田村が挿入したテキストの出所をみつけたというところだ。それが「伊佐波山宛行状」の沙汰人連署だ。山国関係の大量の資料から修論作成のための短時間の間にこれを抉り出してきた手腕は本当にすごい。それだけ読みこんだということでここは賞賛に値する。たとえばこの「伊佐波山宛行状」が他の文書と同様に偽作されたものかもしれないということはここではどうでもいいことなのだ。なぜなら論旨が要求しているのはテキストとして黒田村が保持もしくは作成したものが流用されたということを示せればよいだけの事なので、たとえばこれが偽作されたものならそれはそれで別の補論ができるだけである。

実り多きすばらしい論文とその瑕疵

 この論文のすごいところは上記で説明したテクニカルな点だけではなく、由緒という偽文書の変遷からいろんなことが説明できる事を示した点だ。なぜならここで扱われている山国の由緒書は、どこかの家が権威付のために一人で捏造したものではなく、地域のある層の政治的な目標を達成するために共同で作成されたものだから、政治文書でもあるのだ。何が強調されているのか、何が忘れ去られていったのか、それを追うだけでもたくさんのことが説明できるようになる。実際には修正を要するところも出てくるかもしれないが、偽書でしかない由緒書から歴史的情報を抽出するとはこういうことだと見せつけたのである。

 ただし一つ瑕疵がある。それは西尾氏が同年代の坂田聡の「家」論と安易に結びつけて家の形成の説明に利用しようとしたところだ。これで説明できるのは「名主」の枠の形成ではないのか。「近世宮座と家格伝承ー京都府北桑田郡京北町山国の場合 」『御影史学』29、2004では同様の論を形成しながら、宮座にひきつけて説明を試みているのだが、こちらでは「家格」としているのですんなり宮座の議論に接続できて見通しがよい。だいたい「家」という謎タームは何でも入る箱なので説明できたような気になるが、それで説明すると謎を増やすだけである。そしてこの瑕疵は最悪な形で報いがくる。「家」専門家・坂田聡の介入と押領を招くのである。

パクりの坂田

 さてここで坂田聡編『禁裏領山国荘』2009 をひらいてみよう。

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『禁裏領山国荘』目次の一部

 第二部の劈頭を西尾正仁「名主家由緒書の成立過程」が飾っているが、そのすぐ後に坂田聡「由緒書と偽文書」が続いている。坂田聡は似たような主題で何を論じたのか。西尾論文をほぼ全面的に引用しつつ、「伊佐波山宛行状」などが黒田村の利益のために作られた偽文書であることを論じたのである。

 自分は最初この本を読んだとき、この坂田というやつは何でこんなに必死になって黒田の偽文書を論じているのか、程度に思っていた。偽文書なんてどこにでもあるものだからだ。しかし西尾正仁の1996年の修論を読んではっきりわかった。この坂田というやつは、実り多きはずの西尾論文の枝を切り落として前座に押しこめ、その一方で自分の論説では全面的に引用しながら、補論で済むような小さな問題を大きくスケールアップして、西尾の論拠を抹殺し(たつもりになり)つつ、自分が考えたようなふうな作文を書き、西尾の晴れの舞台を奪ったのだ。本当にクズだなこいつ。 とにかく西尾論文の値打ちがまったくわかっていない。たとえば後続の山崎圭の論文で扱っている網株の話題にも広げることができる。もちろん宮座の話題にも接続可能だ。身分の固定の話題にも接続できる。山国隊まで話を伸ばすことも可能だ。西尾論文はたくさんの枝からいろんな実を取れる大樹のはずだった。それを、この坂田というやつは、編集という立場を利用して、それ偽文書とケチをつけるだけのクソ論文を書き、一方で西尾論文をただの由緒の変遷を追うだけのものに矮小化したのだ。自分は前、坂田聡に対して「空中戦の坂田」と揶揄った文章を書いたが、今回この入手困難な西尾論文を読んで心底怒りを覚えた。パクりの坂田と言うべきだな.... しかし論題をパクられてもさらに話が大きくなったなら、相手がすごかったな、で話が終わる。これは論題の矮小化であって、学問的には誰も得をしない。

偽文書の指摘も竹田聴洲のアイデアの転用

 坂田の論旨では天文年間の名主リストも黒田が作ったものという指摘で、先学はこんなものを信じて論を立てていると書いているのだが、坂田が言及していない先行研究がある。山国関係の研究では名高い竹田聴洲だ。「古家連党旧集記」という由緒書が残されているが、竹田聴洲はこれを山国荘の一番奥の大布施地域が山国の由緒を利用して作った偽文書だと判断した。坂田の指摘はそれを黒田村もやったということにしたにすぎない。坂田が実際書いてることはなるほどと思うところがあるが、それに言及するなら竹田聴洲の成果についても言及せねばならない。しかしそういう敬意を払うことは全くなく、逆に竹田仲村は天文の名主リストなんか信じてたアホと踏みつけにしている。はっきりいってこの坂田という人、名利欲旺盛なうえに業が深そうだ。

全部借り物の坂田

 以前『由緒と天皇』にいろいろ難癖をつけたことがあったが、あれは焦点がズレていた。結局この坂田が西尾氏の論題をパクりながら、西尾氏程度の見通しもないので偽文書を指摘するだけのチグハグなものになり、そのチグハグさで『由緒と天皇』まで突っ走ったため、結果的にまるで山国が偽文書・偽史製造所のような扱いになったのである。しかも西尾氏は修論を書くための二年くらいでこの地平に至ったのだが、坂田はパクっておきながら偽文書をどう扱うかについてまとまった史観も出すことができず、最近話題の偽文書があるぞと騒ぐことしかできなかった。全部借り物だもんな。「有力百姓」のタームさえ西尾論文に見ることができる。坂田は狭い分野の通史ならいろんなことを捨象できるのでなんとか書くことはできそうだが、地域の通史を書く能力は本当に低そうだ。さてその坂田は今何をやっているのかというとこんなことをやっている。

kaken.nii.ac.jp

 文書の再検討みたいなことをやっているそうだ。まぁ地道な作業をするのはわるくないんだが、「昔の百姓は字が読めないバカ」みたいな底の浅い論旨になりそうな気配があるぞwww

日本中世史料学の課題―系図・偽文書・文書

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由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に

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