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京都新聞「勤王の村」記事の謎 その4 研究者の偏執

これまでのあらすじ

 京都新聞に「勤王の村」という歴史事実を偏って切り出しいたずらに山国を攻撃する謎の連載があったが、それは記者の樺山聡が偏っているというわけではなく、そもそもの「山国荘調査団」のロートル坂田聡・天キチ吉岡拓に原因があった。ということでネタ元である坂田聡・吉岡拓『民衆と天皇』の性質について軽く紹介したが疲れて途中で終わった。

天キチ吉岡拓

 坂田聡が参加したものに坂田聡 榎原雅春 稲葉継陽『日本の中世12 村の戦争と平和中央公論新社、2002 があるが、ここではひたすら山国などを例にあげて「家制度」について書いている。理論をもてあそぶ傾向はあいかわらずだが、学者の一般向け著述としてはそうおかしいものでもない。

村の戦争と平和 (日本の中世)

村の戦争と平和 (日本の中世)

 ではその坂田が12年後の『民衆と天皇』ではどうして観念先行で歴史を操作する記述に堕落してしまったのか。もともとそういう面があったけれども「イエ」の研究ではわりとうまくハマっていたのが、「天皇」ではうまくハマらなかったともいえるが、そのハマらないところへどうして突き進んだのだろうか。その謎について前回では 1950年代生まれ世代の元サヨクの中での流行に乗ったと適当に書いたが、それよりも大きな要因として、2006年から「山国荘調査団」に参加した天キチの吉岡拓がいる。その出世作は吉岡拓『十九世紀民衆の歴史意識・由緒と天皇校倉書房、2011 であり、タイトルからみてもその続編として構想されたということがわかる。坂田はなぜその学を折って若手の吉岡に迎合したのだろうか。まずはその天キチぶりをみてみよう。

天皇の存在に違和感

 吉岡の天キチについて前々回では『由緒と天皇』の末尾に書いてあった香港の日本人学校のことを紹介したがそれは萌芽といえるものだった。もっと直接のきっかけは『由緒と天皇』の冒頭に書いてある。2004-2006 の皇室典範の議論の中で「論議の過程で皇室の存続自体の是非についての話題がまったくといっていいほど出されなかったという事実に、いささかの驚きを禁じえなかった」(p11)と書いている。そしてそれは日本の敗戦後の天皇人間宣言について、国民がそれを受容したのは「天皇制が存続することに違和感を覚えなかった」(p12) からで、それが今もつづいているから、と繋げている。要は彼は違和感を覚えるらしい。

 ある事物についての研究であっても、その存在が不思議でどうしてそこにあるのか調べたいとおもうのと、存在すべきでない異物と感じて存在理由を調べるのとではまったくその後が違ってくるが、彼は後者のようだ。

憲兵吉岡

 まぁ研究者の卵のころにたまたま話題になったことにとりついてそのまま研究人生を終えるということはよくあるが、入口としてはそうらしい。受容史というアイデアが既にあるので、そこから天皇がどう受容されたのか、と応用し、さらにその受容が天皇をどう支えたのか、というところへ行くのは自然というか、学者稼業としては目敏いといえるだろう。しかしまたその手法があざとい。たとえば『民衆と天皇』にはこんなふうに書いている。

ここで、やや唐突ではあるが、「勤王きんのう」という言葉について考えてみたい。民衆と天皇の関係を語る時、私たちは「勤王」(あるいは、「尊王そんのう」)という言葉で説明しようとする傾向がある。「勤王」とは、自らを顧みず、天皇のために尽くすことである、現在を生きる私たちは、この言葉をそのような意味合いを持ったものとして理解している。(p109)

 彼はこういう荒唐無稽な前提を最初に持ってくる。そしてその内容が現実にあるはずのものだとして歴史事実を眺め、合わない事実がすこしでもあったらそれを取りあげ喧伝し、「民衆」はそもそもこんなに「不敬」だった! → 天皇は利用される側だったんだよな~という話に持っていく。戦前の特高警察や憲兵隊が「不敬」を摘発したのとはまた逆の方向で、「不敬」に相当すると彼が思う事例をみつけて摘発してみせるのである。

天皇に関する由緒を主張していた山国・黒田地域の住民たちでさえ、近世は「勤王」ではなかった ーー この事実は、民衆と天皇の関係を語る時に、この言葉以外の形容法を知らない、あるいは、この言葉の右に述べたような形で固定的に捉えようとする、私たちの考え方そのものに問題があることを示しているのではないだろうか。(p109)

 そうだよおまえの仮定がおかしいんだよ。つまり彼はわかってわざとこういう操作をやっているのだ。彼は現代への呼び掛けを目的としたアジテータそのものであり、そのアジる材料として山国・黒田を利用した。

大原郷士の研究

 さきほどの『由緒と天皇』にある大原郷士の研究をみてみよう。大原は京都の左京区の山に入っていったところにあり、「きょうとーおおはらさんぜんいん」で有名だが、山国と同じように家柄だけは良い人たちがいて郷士と呼ばれる。その彼等が幕末のころ木地師の由緒をとりこみ、惟喬親王の政所を務めたのがその由来ということにした。そして明治維新後、士族編入運動のときにその由緒の天皇との縁を強調して武器にした、ということだ。これをみればわかるが、彼の「天皇に関する由緒を主張していた山国・黒田地域の住民たちでさえ、近世は「勤王」ではなかった」モデルの由来はその大原郷士だとわかる。まず大原郷士は自分達の由緒を皇族の配下であるところに直接接続した。そして江戸時代特に皇室との繋がりはなかった。そして明治維新になってからその由緒を利用して士族になろうとした。このモデルを『民衆と天皇』において無修正で山国に適用したところが非常に筋がわるい。

 山国で由緒を接続したのは平安京建設のときの杣人ということだったが、その杣人たちは皇族などの権威そのものではなく当時の政府機構の一部の修理職であり、実際にもその後修理職領だったということになってるので、その起源が正しいかはともかく、史実から異常に離れているわけではない。由緒の中ではその後天皇などとの関係だけではなく、室町将軍家などいろんなところとの関係を主張したのでその正当化に天皇の権威だけを必要としたわけでもない。元禄前後に山国の一半は禁裏領に復帰して直接の関係があった。しかし全てではなく残りは旗本領などとして幕末まで迎えた。つまり荘園として過去よりも小さい機能不全な状態で皇室の要求に応じなければならなかったことを意味するのに、一度は断わったのを吉岡はことさらに取りあげてご都合主義の民衆の天皇利用とみなす。明治維新後の士族編入運動で大原と同じような態度をとり、結局報われなかったことも大原と同じなので、そこからさかのぼって同じようにみなしたいのはわかる。しかし、これだけの差異があるので吉岡の単純すぎるモデルは修正しなければならないのだが、そうかといってあまり一般化すると権力なら何でもよく、天皇である必要はないことになってしまう。彼のモデルでは「民衆」は非勤皇だが利用だけはするという態度をとらないといけない。そこで、そのモデルに合う歴史事実だけを拾いあげ、強調することになった。つまり粗探しだ。そしてそのモデルの主体を「座衆」「旧名主層」「郷士」などではなく、「有力百姓」とした。一般化させるつもりがあったのもここから明白である。

 大原郷士の士族編入運動の顛末や由緒の内容の構成などは、やはりおなじ京都北部山間というだけあって、山国と相似しているところがあり、京都周辺、もしくは近畿の似たような郷士とその由緒、士族編入運動などまで手を広げて比較するとかなりおもしろい研究になるであろう。吉岡はその方面に行けば重厚な研究の道を開けただろう。しかしそれをゆっくりやっていては京都ないし近畿ローカルの研究者にとどまってしまう。それまで見落されていた郷士の士族編入運動の専門家ではスケールが小さい。学者として名を立てるには坂田のように全国に適用できそうなモデルを構築しなければならない。そこで、生来のアジテーターの気性を発揮し、大原郷士の研究でみつけた単純なモデルをそのまま山国に適用して業績をうちたてようとしたので、さきほど書いたような逆憲兵的粗探しゲームに堕落したのだ。

空中戦坂田と逆憲兵吉岡の悪魔合体

 さて、ここまで書いたことでどうして『民衆と天皇』が山国の歴史を切りとって攻撃するような内容に堕したかおわかりであろうか。

  • その昔山国の資料をおもにつかって業績を立て、また山国の例だけを挙げて理論を展開した空中戦「イエの坂田」

  • その時代にそぐわない現代の観念を使って過去を摘発し現代を告発する悪癖をもった天キチ逆憲兵天皇制の吉岡」

 おそらくこの二人の組み合わせで、若い吉岡の天皇理論を援護するため坂田が無駄な力を出したのではなかろうか。もしくは坂田が浅知恵出してこれで行けるとおもったのではなかろうか。そして「山国の資料を使うこと」と「民衆と天皇に関する理論をうちたてること」が既定路線となり、まだ十分に研究を展開していない吉岡のバカ理論をそのまま山国に適用して著述を作りあげようとした。ここに、まるで20世紀中頃のような理論先行の歴史学(もしくは小説)が爆誕し、山国はその犠牲に捧げられたのである。

 そしてその浅薄な著述を無神経な京都新聞の樺山聡記者が適当にまとめたため、著述の持っていた粗探し傾向がそのまま前面に押しだされた記事となった。それが1月30日から2月1日にかけて連載された「勤王の村」記事の正体だ。

(了)

(追記: その後、粗探し傾向になった原因を発見した↓ 。人のアイデアをパクってパクりきれず粗探しだけが際だつキモい研究になったのだ)

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