メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

大学院に行くことにした(行けるとは書いていない)

 今年は大学院に行くことにした。博士前期過程つまり修士ってやつですね。45歳(新学期には46歳)の今から行って意味はあるのか? まぁ実際社会的にはあんまり意味はなさそうだがかまわない。50代になると脳が柔軟性をなくして新しい考えが入らなくなる。40代後半はその直前なのである意味ラストチャンスではある。

 この学士と修士の間はたったの二年の差ではあるがやはり研究の基礎という点で重大な差がある。なにか新しいことを発見するのは学位がなくてもできる事だが、それを論文などの形式に沿ってまとめるのはそれなりの訓練を経ないと難しい。学士はその入口で修士は初歩、博士にいってそれなりの形のものを出せるということで、大学は準備段階、大学院が訓練所ともいえる。まぁ最近の博士(文系)は過程博士なので一昔前までの博士よりも余程値打ちが下っているようだが、それでも修士よりはまとめる能力という点では上だろう。自分は自由放任の大学に行ったのだが、人に相談しない独りよがりの性格が禍して学生の独自研究で終わってしまい、今でもその調子でネットに文章を垂れながしているので、そのことを考えると結構不安になってくる。

 そういうわけで大学にまた行くのもよいのだが、そんなにカネも時間もないので院から行きたいところ。ところが院に行くにはそれなりの論文もしくは実績が必要で、自分の場合そんなものは何もなく卒論があるのみだから、その卒論の方向へ進むしかない。実は自分の書いたものによって方向は既に決まっていたのだ。

 今回行く事にしたのも、年末に卒論を世に出すべく人に見せたのが発端となっている。それで大学院に来るのはどうかと言われてはじめて大学院について調べ、そこで普通は卒論を持って院に行くということを知る。つまり出身大学出身学科の院へ持ち上がる場合はそれが明白ではなく、そもそも相談しに行けるような時期に卒論が仕上がっていないものだが、よその院に行く場合にはそういうものが要求される。ということで、17年前にやるべき事を今やっていたと知って、愕然としたわけだ。まぁそもそもそういうことは普通先生に相談するのに一切相談せずに独断で勝手にやってたんだから自業自得ではある。

 もっとも院に行くには金銭的余裕が必要となり、今までそれがあったのが2008年頃と今であり、2008年頃のそれは海外旅行などで使ってしまったのだから、そういう意味でも今回は最後の機会というところか。これだけ書いておいて何だが、10年も学部でブラブラしてからカネもないのにさらに大学院とか躊躇して当然だから卒業時(2003年)の判断もそんなに間違ってはいないな。まぁしかし今回はこれから必要な書類を集めるような段階だが、話があんまりに急すぎて、卒業証明書などを集めるところから既に綱渡りなので、卒論の受けはよくても院試の出来が悪すぎて落ちる可能性がある。そうなればそうなったで、またくだらない記事を乱発して死ぬまでの時間を埋めるとしよう。

追記: 院試の過去問を見せてもらったら案外簡単で、基礎知識の欠如という不安点はあるのだがこれから一ヶ月余裕があるので落ちそうになさそう。

大学編入のすゝめ

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