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君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

『迷信の日本』

君見ずや出版
国立国会図書館デジタルコレクション - 迷信の日本
 こんな本をみつけたので紹介。八濱督郎編『比較宗教 迷信の日本』警醒社書店、明治32年(1899)。迷信という刺激的な書き方をしてあるが、内容的には俗信・民間信仰を紹介したもの。雑誌に載ったものをまとめたものだが、出版するとき既にその「迷信」というタイトルに文句がついていたらしい。

本書に題するに『迷信の日本』とせしは、著者一己の考按、敢て岸本姉崎兩氏の關する處にあらざる也。殊に岸本氏は書を寄せて『迷信の日本』てふ題名を、『日本の俗信』と解題せんことの妥當にして勝つ科學的なる事の注意を與へられしも、既に印刷結了の後なりしかば、その好意に随ふこと能はざりし也。尚ほ『中奧の民間信仰』てふ姉崎氏の論題を、『中奧の迷信』と變更せしは著者の獨斷にして本書の躰裁上實に止を得ざりしこと也。

 確信的にやったようにしか見えない。迷信という言葉には既に価値判断が入っており、研究者から見て妥当でないとするのも当然だが、それでは売れない時代だったのだろうか。もっとも「迷信」にものいいをつけてはいるものの、今から100年以上前の19世紀末、いまだ明治維新から30年程度の日本で書かれたものなのでなかなか乱暴なところもあっておもしろい。最初に「中奧の迷信」としてオシラサマとかの民間信仰一般を紹介したあとに来るのが「洛陽の迷信」である。洛陽とは京都。江戸時代以降日本最大の大都会としての地位を落としつづけ現在では一地方都市に転落しつつある京都であるが、まだ明治のころはやはり日本有数の都会の一つであったのはまちがいない。ではその京都の迷信として何を紹介するのか。

蒲團着て寐たる姿の東山とは、俳人其角が京都人士の腑甲斐なさを罵ッた警句である。が、元祿の昔ばなしではない、維新後の今日でも同樣で、尚武粗暴の江戸ッ子に較べた日には、上方衆は優柔因循である。別けて京は美人の名所で、東夷の刃金も鴨川の水には鈍る、お白粉ぐさい處である。殊に衣裳身の廻に贅を盡すことは、京の着倒といッて、それはそれは驚くばかりで、世態が浮華驕奢に流るゝに連れて、人情が淫猥に赴くのは當然のことで私生兒の多いのも、心中沙汰の饒いのも、敢て珍しとするには足りない。が、物まづ腐ッて虫の涌く道理で、淫祠の夥しいことは、それこそ大變なもので、洛中洛外は邪神の叢窟と謂ッても好い。で、斯る淫祠は屹と縁結の神樣で、淫婦淫夫が痴嬌の底を叩いて祈る誓願を、それぞれ聞いて適えて遣り給ふ不倫千番の神々で、(以下略)

 京都は軟弱で風俗の乱れたところで、というのは単純に田舎の人が都会を見る視線だが、実際にやってる事は、その淫祠邪神を巡って境内に結んであったり貼ってあったりする縁結びや誓願の紙を開いて読もうというのだからなかなかゲスな話だ。しかし導入部の批判的な紹介のわりに内容をみると案外普通の願い事や誓いばかり並んでいるし、そのころの信仰の有様もある程度わかる。たとえば今も釘抜き地蔵というのがあるが、そこに願うときは体のどこそこに釘が立ったから抜いてくれという調子で書くらしい。本当に釘がささったわけではなくそこの具合が悪いから治してくれという意味だ。なるほど迷信といいつつもそこには作法があることがわかる。それから、収集している物は紙。今なら絵馬をめくって行けば簡単に読めてしまうが、当時の方が個人の秘密に敏感だったのか、紙に書いて結んだり貼ったりするのが普通だったようだ。あるいは人に読ませたいときそんなふうにするのが普通だったのか。