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幕末実戦史

国立国会図書館デジタルコレクション - 幕末実戦史
 こういう本がある。江戸開城後もたたかった幕府洋式部隊の記録をふたつまとめたもので、大鳥圭介の南柯紀行をメインにし、附録として今井信郎衝鋒隊戦史がつけてあるものだが、これが問題の多い本である。のちに大鳥家でまとめられたとおぼしき南柯紀行を校訂して出した山崎有信という人がいるが、この人は『幕末実戦史』のことを「随意に筆を加え」「誤謬脱落甚だ多く」と厳しく非難している。『幕末実戦史』をまとめた中田蕭村自身は巻末に「書中に二三の誤字や脱字がある」と予防線をはっているくらいだ。それをなぜかわざわざ再度活字化して公開した幕末維新資料叢書というのがあるがその解説によると既に雑誌に公開されたものをまとめたもので、「漢詩の部分の相違がはなはだしい」ということになっている。
 この「南柯紀行」最初の公開は雑誌『旧幕府』なのだが復刻されて見やすくなっているので比較するのは簡単だ。実際に比較するとこれが実にレベルの低い仕事で、意味のない書換を全体に施している。それだけなら文体を改変しただけなのだが、加えて教養不足でひどいことになっている。たとえば「毛を吹き疵を索むる抔の説」を「毛を吹く等の説」と改めているのなどは意味がわかっていない証拠だ。「同郭は無二の要砦にて敵の根據なれば、必兵衆を聚めて守る(こと)疑ひなし」を「同廓は要害の地にて兵隊の根據なれば敵必ず兵衆を聚めて此を守る事疑なし」としているのなど何を目的に書き変えたのかよくわからないし郭が城郭の郭だと知らず遊廓の廓と誤解している風もある。「長刀」を「長劍」に変えているところなんかもある。幕末維新資料叢書もよく確かめずにいい加減なものをいれてしまったものだ。

 『幕末実戦史』の構成にさらに小杉雅之進の『麦叢録』などをつけて再度だされたのがこの本だが南柯紀行については掲載されていた雑誌から新たにテキスト起こししたらしい。山崎有信の『南柯紀行』を底本につかわなかったということだがおそらく山崎のものの底本は大鳥家で書写した謎の本の書写をもとにしており、山崎の校訂が入っているとはいえ原資料から遠いと判断されたからではなかろうか。わからんが。
 ちなみに麦叢録も国会図書館にある。
国立国会図書館デジタルコレクション - 麦叢録. 乾
国立国会図書館デジタルコレクション - 麦叢録. 坤
 この本明治初年に出た本なのに裁定公開である。よくわからない。
 よくわからないといえば『幕末実戦史』も裁定公開である。なぜこんな日記を書いたかというとと、ある程度電子書籍化の作業を進めつつやっぱり資料的価値低いのかなぁと悩みつつ、やめる決断をして、せっかくなので日記にまとめようという段になってよくみたら裁定公開だといういうことに気付いて自分の間抜けさにアキれたというだけの話だ。

 ちなみに山崎有信編『南柯紀行』は表紙の絵を描いた人が1978年死亡ということで国会図書館で公開されるのは当分先になるようだ。
 ところで『幕末実戦史』と『旧幕府』連載のものとの比較はしたが、他本との比較はしていない。戦前に活字化されたものは以下の通り

  • 明治30年雑誌『旧幕府』連載 江戸脱出から函館での降伏まで+獄中日記(明治2年9月24日まで)
  • 明治31年雑誌『同方会報告』連載 獄中日記 丸毛利恒書写分にもとづき明治3年7月29日まで
  • 明治44年 中田蕭村編『幕末実戦史』
  • 大正15年 『維新日乗纂輯 第三』獄中日記 明治3年7月29日まで
  • 昭和16年 山崎有信編『大鳥圭介南柯紀行』

 とこれだけある。
 ためしに『旧幕府』・『幕末実戦史』・『維新日乗纂輯』にのっている獄中日記の冒頭を比較してみたらそれぞれ違っていて笑える。ちなみに『維新日乗纂輯』所載のテキストはふたつの中間にあるような性質をもっていてどうも戸惑う。このころは表記体系自体の大変動時期なので転記するときに随意に変えてしまうのは普通のことだったのかもしれない。また丸毛が欧米渡航の船の中で大鳥から獄中日記を借りて書写したように人の日記というのが今のブログのように読み物扱いされていて、書写されたものがいくつもあったのかもしれない。大鳥圭介は当時高名な洋学者だったからみんな日記を読んでちょっとは勉強したつもりになっていたのかもしれない。