メモ@inudaisho

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陰謀論ブログ

陰謀論ブログです

 某所で「カラー電子ペーパーの情報にやたら詳しいけど陰謀論がキツくて読めない」みたいに言及された。なんだこいつネットの有名人で外国の変な地域の情報あつめてるふりしてるくせに英語や中国語も読めず、公開情報紹介してるだけのブログを参考にしてるのか?

 と思い、いろいろ調べてそいつについて本物の陰謀論を展開してやろうかとおもったが、twitter の発言をみてると、似たようなレベルの思い込みを常時垂れながしているので目糞鼻糞をするのはやめることにした。

 しかし陰謀論というのは簡単で、たとえば自分がこういう tweet をしたとする。

 その後に違う方向から遠まわしに変な言及を受けたとしたときにその二者はなんらかの関係があると思いこんだとして、そこで何の根拠もなくなんらかの集団、たとえばフリーメイソンとかユダヤ人とか日本会議とかを持ってくるとすぐに陰謀論になる。

 論文の作り方の一つに仮説演繹というのがあるが、ある事実から仮説をつくり、今度は逆にその仮説がなりたつかどうか事実を集めて検証するというもので、枠組みとしては陰謀論とたいして変わらない。陰謀論は都合のよい事実だけ集め都合のよいように解釈するところから起こる。科学であればまた違う事実の発見によっていつかはその仮説がやぶられて新しい仮説が作られ、それによって科学が発展していくのであるが、おもしろいのは陰謀論も都合よい思考から生まれているだけなのでその枠組みで発展していったりするところだ。

 ところで、人文科学になると、扱っている事実と論拠の両方の確からしさがかなり落ちてきて、ややもすると陰謀論になる。たとえば日本史において、天皇がどういう機能をもっていたのか、というのは重要な話題であるが、そこに過度にフォーカスして天皇制とかぶちあげ、さらになんでもかんでも天皇制がわるい、となると陰謀論と大してかわらなくなってくる。人間社会において権威がどのような機能を果しているか、人間社会の再生産は何によって支えられているか、というようなもっと普遍的な問題意識がないからそうなる。とはいえ、ここまで書いたことからわかるように、陰謀論とだけ聞くとなにやらあやしいもののように見えてくるが、そもそも人間の機能としてそのような物の見方が備わっており、検証しようとしなかったり物の見方が狭ければすぐに陰謀論とかわらないものになるということだ。

 この四月から文学部に入院するが、そういう文学と歴史の中間くらいのところを意地悪く攻めていくつもりだ。40代後半のおっさんがもらえる給付型奨学金などないので途中で金が尽きてやめるとおもうが、すくなくとも論文の書き方くらいは覚えてくるつもりである。残念ながらまず中国文学から入るので日本史の方へ討ち入るのはいつになるかわからない。明代の沼にハマって出てこれないかもしれない。

ビジュアルストーリー 世界の陰謀論

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