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陸軍最後の日

国立国会図書館デジタルコレクション - 陸軍最後の日
 藤原弘道『陸軍最後の日』昭和20年12月。
 賠償金のための仕事さがしばかりしていてもしかたないので本でも出そうかとおもったがこの本は著作権者没年不明のための裁定公開で出せないのでリンクで紹介しておく。

 最近は戦後70年とか言ってるが、この本が出た昭和20年から数えて70年前は明治8年であり、本文中でも陸軍70年余の伝統とか書いている。要するに明治維新から敗戦のころまでと敗戦のころから今までは同じくらいの距離だ。もっとも明治のころは年寄りが今よりもっと早く死んでいたので実感できる歴史の距離としてはもっと遠いのだが、今では戦争はものすごく遠い話になっていることはまちがいない。

 ところでこの本の文中アメリカによる日本軍の弱点の指摘として引用されているのは

「日本の軍人の進級は別に戰爭にかゝわりなく、規則による封建的なものである。從つて日本の兵は強いが、日本の軍中央部は必ずしも恐れるに足りない」

 とある。この本はタイトルに陸軍最後の日とあるように、戦争最末期に戦争継続を狙ってクーデタまがいのことをやって失敗した人たちのことを紹介した本なので、その原因の一つとして軍人精神なるものもひっぱってきている。では軍人精神をもち規則的に進級するのになぜ「恐れるに足りない」のか。先の米軍の指摘の引用の次にこういう指摘もある。

また人事の一部として、まことに恐るべきことは、第一線に出されることが懲罰であるとされてゐたことである。(略)
軍人が第一線に征くことが懲罰となるやうでは、國軍が弱くなることは當然のことである。

 ここからみれば軍人精神とかいうものが口先だけのものになっている軍隊をみることができる。なるほど実力本位でないルールで進級する上に軍人精神も持ちあわせていないとなると、戦争とは関係ないルールでの勝ち方しか知らない連中が上層部に登ることになる。戦争のことになると精神論がどうのこうのと言う話になりがちだが、そんなのは実の所どうでもよく、「生きた組織」をどうやってつくるかの方が大事なのではなかろうか。
 ただし何をもって生きた組織と言えるのかがわかる人がいないと生きた組織はつくれないというのがまた困ったところだ。あきらかにセンスの問題でしかない。ならばセンスを育てる教育からはじめないといけないのだが。まぁ無理かwww

 まぁしかし最終的に負けた事を出発点に話を進めると、ではその前に勝ってたりした事をどうにも説明しにくくなる。そういう是是非非ができることが生きた話になるか死んだ話になるかを分けるのだろう。