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南丹市八木町諸畑の明田氏

家紋研究家の探索

 明田理右衛門の出身地丹波の明田氏について調べていたらこういうブログをみつけて、前の「明智光秀首塚と明田理右衛門 その2」の方に追記しといた。

arkness.blog.fc2.com

 これによると南丹市八木町諸畑の明田氏は応仁の乱のあとここにやってきたということらしい。

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八木図書室

 ということで、八木の図書館に行って郷土資料をあさってきた。

出身は信州?

 『郷土誌八木』第7号の鈴木祥一「八木町内の宝篋印塔 その他」に清源寺の宝篋印塔について説明があるが、その塔の横に明田氏の石碑があり、こう書いてあるそうだ。

当寺開基 桓武平氏三浦家之末孫者 代々明田和泉守由緒信州明田城主也 平家二十一代伯耆守義国応仁文明乱軍敗一族遁世刑部庄内大谷口 嫡男和泉守義季文明十三年(一四八一)再興清源寺 此塔従古大谷口代九番地 在旧屋敷跡 昭和五十二年秋 移此処為明田家先祖菩提矣

 日本語を漢文っぽく書きなおした文章で微妙だがまぁ昭和52年だからしかたない。信州明田城主だったが応仁文明の乱で負けてここに遁世したとある。信州明田城というのがよくわからん。何代何代と詳しく書いてあるということは系図でもあるんだろう。

内藤氏の配下

 「丹州船井郡八木村山城之城代書覚」という八木の地方誌ではよく翻刻されている資料がある。明智光秀が内藤氏を攻め滅ぼす前、八木城に詰めてた人たちの名簿らしい。「御弓大将」という組が一番から六番まであるが、その一番の組の中に明田氏がいる。

八木孫太夫 坂口備後 波々伯部伊豫 杉崎宗俊 中後藤之助 中川兵助 川藤數馬 杉崎德右衞門 明田儀左衞門 杉崎孫之亟 塚本治部左衞門

 丹波室町時代の後期にはだいたい細川氏が守護になってた国で、その下で代々守護代をつとめていたのが内藤氏。三好長慶の部下の松永久秀の弟が入りこんできたこともあるが、その息子の内藤ジョアンは足利義昭にしたがって結局丹波を離れている。この名簿は織田信長から討伐対象として目の敵にされてたころで、丹波には明智光秀に早々と従った勢力もあったが、明田氏は徹底抗戦した側なわけだ。ま、それまで丹波の中心だった八木城の近くに住んでるわけだから、当然といえば当然か。

遁世?

 さてそこで気になるのが出身が信州で応仁文明の乱で負けてここに遁世したというところだが、ここはその応仁文明の乱の立役者の一人であった細川氏の領国の治所と目と鼻の先なので、その争いで負けた側が遁世できそうな場所ではない。江戸時代には明智光秀が開いた亀山(亀岡)と園部藩が置かれた園部がこのあたりの二大中心となったので、そのころなら若干寂れてしまった感はあるが、いずれにせよ亀岡盆地の北の端なので遁世なのかどうか.... しかも明智光秀が滅ぼした内藤氏についている側なので、それ以前からいたことになり、「遁世」について無理に解釈してもしかたない。応仁の乱についても、どちらかというと活躍した側なのでは? という見方もできる。そもそも信州明田城というのがよくわからない。

 最近は中世の山城の探検が日本中で流行っていて、ネット上で検索したらすぐ出てくるのだが、明田城で検索して出てくるのが丹後の大宮町明田にある明田城(入谷城)で、もうひとつが備前岡山県赤磐市にある明田城。どちらも応仁文明の乱の立役者のひとつの山名氏がなんらかの関係のある国なので、もしも応仁の乱でどうこうしたというのがそれなりに実のある話なら、明田氏は負けて遁世したというよりは寝返ったとかなにかそういう理由で元の場所に居辛くなって、細川氏の足元で保護されてたのかもしれない。

秋田 明田 麻田

 おもしろいのはこのあたりは明田の他に秋田・麻田という名字がまた名家として存在していたことで、秋田は特に多い。そこからたとえば、こういう妄想もできる。この「あ●田」が実はみな秋田がもとで、なにかで分かれたときに名字をちょっと変えたのがそのうち忘れられて、戦国期から江戸時代初期に別の由緒で置換された、のような。他にはもともと同じ氏でそこから派生したとかという筋も考えられるが、これは単に「似たような名字が多いという事実から思いついた証拠のない妄想」なので、たまたま似たような名字が集まっただけかもしれない。

 ということで特に結論もなくいかがでしょうかブログ的に終えることとする。

(実は「八木城に詰めていた人リスト」も江戸時代になってから作られた偽書(作成当時の名家リストを八木城に詰めていたという体裁でまとめた一種のなりきりもの)の可能性がある)

山名宗全と細川勝元 (読みなおす日本史)

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八木町誌

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